映画『日本のいちばん長い日』は2本あります!!

 
8月15日が近づくと必ずといっていいほど再放映されるのがこの映画『日本のいちばん長い日』です。このタイトルの映画は1967年の岡本喜八監督版と2015年の原田眞人監督版がありますが、近年は1967年版がモノクロなのと2015年版がメディアリリースされていますので1967年版はDVDでしか見られなくなりそうです。

 

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両方ともよくできた映画ですが、多くのレビューは1967年版の方に軍配をあげ、2015年版は少し部が悪いようです。ただ、同じ史実を題材にし、同じ原作であっても製作年次が半世紀近い隔たりがあって、その時代の解釈や技術で出来上がりが違ってくるのはいうまでもありません。

 

原作の成り立ちについては以下を引用します。(Wikipedia

文藝春秋』編集者の半藤一利が企画し、徳川夢声とともに司会を務めた戦後18年後の1963年6月20日に東京の料亭・なだ万で約5時間にもわたって交わされた座談会が開催された。内容は1945年の8月、敗戦の日にどこで何をして何を考えていたかを振り返るというもの。座談会の参加者は軍人や政治家、銃後の人など28名。『文藝春秋』1963年8月号に「日本のいちばん長い日」と題して掲載された。
(中略)
この座談会をさらに掘り下げようと半藤が取材を加えて執筆し、1965年に大宅壮一の名で出版され、後に映画化もされたのがノンフィクション『日本のいちばん長い日』である。     


この2つの映画は、同じ本を原作としており事件の解釈やキャラクターもほぼ同じで、場面、セリフまで同じところもあります。要は原作のどの部分を強調し、どの部分を省略したかの差を観たものがどう採るかが評価の分かれ目といっていいでしょう。

 

1967年版のクレジットが出演順となっていますが、2015年版では役所広司本木雅弘松坂桃李堤真一山崎努の順となっていて、それぞれの作品が狙っているところの違いなのでしょう。

 

どちらの作品もスゴイキャストです。とくに、1967年版はご年配諸氏にとっては懐かしい俳優さん、それもほとんどが物故されていて、本筋とは違った味わい深いものがあります。

 

敢えていうと、1967年版はドキュメンタリー的に出来事を詳細に追いかけて、2015年版は主要人物に今一歩近づき人間ドラマを垣間見せています。例えば、夫人が阿南陸相の亡骸に次男の戦死の様子を語り掛ける場面が涙をさそいます。

 

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また、2015年版は昭和天皇にスポットが当てられて、平成の世となってこそ描けるところもあるのでしょうが、本木雅弘は、自制的に天皇をみごとに演じ切っています。本木は最初この役のオファーを躊躇しましたが、義母の樹木希林から「やりたくても来ないかも知れない役なのだから」と背中を押されたと語っています。

 

また、1967年版の鈴木首相役の笠智衆と2015年版の山崎努との対比も面白く、山崎努をこの役に付けるだけで重みが出てこの映画を成立させてしまいます。片や「飄々」と、片や「柔よく剛を制す」みたいにストーリーを織りなします。


この映画は1945年8月15日の狂気を描いています。日本人が経験したことのない狂気に違いないのですが、この事件を象徴するアイテムが畑中健二少佐と横浜警備隊の佐々木武雄予備役大尉です。

 

畑中少佐と周辺の人々は言わずもがなの本筋で、若き日の黒沢年夫と松坂桃李は甲乙つけがたい熱演で両作品になくてはならないものとなっています。

 

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しかしながら、1967年版での佐々木大尉は、民衆レベルの戦争末期の狂気を見事に現出していますが、2015年版での出番は微々たるもので、無くてもいいような扱いが残念でした。

 

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平成の世も終盤の今、大戦末期や終戦前夜の狂気を理解するのも難しくなってきましたが、2015年版では、東条英機陸軍大将が陸軍省で激を飛ばします。

 

「勤皇には二つある、狭義と広義だ。狭義の解釈では陛下より和平せよとの勅命あれば、これに従う。広義の解釈では国家永遠を考える。たとえ陛下より仰せあるも、まず諫言したてまつる、それでもお許しなくばどうする、どうする、どうする。
(中略)矯正したてまつりても所信を断行すべし。」

 

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このように思い上がった、偏執狂のような声が軍内部で大きくなり狂気の高まりとなっていったのでしょう。畑中少佐一派は国を思うが故にこの狂気に飲み込まれ、鈴木首相、阿南陸相はより高所で国を思い身を挺したために、今の日本が成り得たのでしょう。

 

1967年版はクールに、2015年版はも少しウェットに1945年8月15日を描きました。

 

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