映画『華麗なるヒコーキ野郎』飛行機好きにはたまらない映画です!!

1975年のアメリカ映画で、監督・原案ジョージ・ロイ・ヒル、脚本ウィリアム・ゴールドマン、撮影ロバート・サーティース、編集ウィリアム・レイノルズ、主演は、ロバート・レッドフォードと、『スティング』のスタッフ・キャストが再結集しています。

また、ロイ・ヒル監督とレッドフォードにとっては『明日に向って撃て!』『スティング』に続く3度目のコンビ作となっています。

 

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古典的飛行機物映画としては古くは『素晴らしき飛行機野郎』(1965年)、近年では『フライボーイズ』(2006年)『レッド・バロン』(2008年)などが印象的ですが本作については、時代を思わせない見事な映像で前3作に勝るとも劣らないものといって良く、複葉機ファンを魅了します。


ここでは、この作品に登場した主な飛行機を紹介します。

 

 目次

 

 

0.概要

この映画は、航空機パイロットを主人公としたドラマで、空を飛ぶことに魅了され、空を飛ぶことに人生を掛けた男たちの生き様を描いています。

 

1.スタンダードJ-1

ウォルド・ペッパー(ロバート・レッドフォード)が乗って最初に登場します。

 

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スタンダードJは、1916年から1918年までアメリカのスタンダードエアクラフトコーポレーションで生産された単発複座の複葉練習機で、4気筒インラインホールスコットA-7aエンジンを搭載し、張線と帆布と木から構築されていました。

J-1は、生産中のCurtiss JN-4を補うための一時的な隙間を埋めるものとして使用され、1918年6月に、すべての標準J-1は配備され、トレーニングは集中的に行われました。しかしながら、練習機のニーズを充分に満たすのにはJN-4が必要であり、1機あたり2,000ドルでは、 Curtiss OX-5エンジンに換装ためには費用効果がありませんでした。

2,600機以上のJS-1の契約はキャンセルされ、陸軍による地上観測に使用された以外のJS-1は余剰または廃棄として売却されました。 競合他社のカーチスは 、余剰のJ-1を購入し、エンジンを換装して(Curtiss JN)再販しました。

多くのJ-1は、民間の飛行学校によって飛行され、観覧飛行やバーンストーム(空中サーカス)の使用のために、使い果たされるか、1927年に新しい航空輸送法によってリタイアを余儀なくされました。

 

 

2.カーチスJN-4「ジェニー」

アクセル・オルソン(ボー・スヴェンソン)の愛機でウォルドに車輪を外されてしましまいます。

 

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アメリカは第一次世界大戦の開戦時点までは完全に航空後進国という感じでした。大戦勃発時の航空兵力は旧式の寄せ集め55機のみという、惨憺たる状況でアメリカとも思えない実態でした。大戦中もほとんどフランスからの輸入戦闘機でまかなっていたのが現状でした。

唯一大量生産された国産機が、このカーチス練習機で、1916年に制作され、単発複座練習機、全長:8.33m、全幅:13.3m、全備重量:967kg、エンジンは、Curtiss OX-5 90HP、最高速度:120km/hとなっていました。

航空界に遅れてきたとはいえ、さすがに日の出の勢いの大国アメリカで、この1機種が合計6500機も生産されました。アメリカらしく、航空機の民間需要がたいへん多かったのでしょう戦争が終わり、軍隊から放出された大量の「ジェニー」はアメリカ全土で自家用機として使われ、バーンストームの定番機にもなりました。

 


3.ソッピース・キャメル

ウォルドとエルンスト・ケスラー(ボー・ブランディン)とのドッグファイトでウォルドが搭乗します。

 

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複葉戦闘機ソッピース パップの代替として1916年にイギリスのソッピース・アビエーションで開発され、開発初期には「ビッグ・パップ」とも呼ばれました。130馬力の9気筒ロータリーエンジンのクレルジェ 9B エンジンを装備して速度は時速185 kmに達しました。プロペラ回転面を通して発射する同調機銃としてビッカーズ 7.7 mm 機関銃2挺を搭載していました。

機関銃の周りを覆うフェアリングがコブのようになっていたことから、キャメル(ラクダ)の名がつきました。軍はこの呼び名を禁じましたが、定着したため採用することになりました。1917年から運用が開始され、約5,490機が生産されました。

ロータリーエンジンの強いジャイロ効果がキャメルの操縦性を独特なものが、新人パイロットには難しいものであり、着陸時の事故が多かったようです。これは、意図的に不安定にされており、いつも真直ぐ飛ぶためにパイロットは常に調整する必要がありましたが、これによって比類ない機敏さを与えられたキャメルは、第一次大戦中に全軍通じての最多撃墜数を記録した戦闘機となりました。

派生型には、110馬力のル・ローヌ 9J、150馬力のグノーム 9N、ベントレー BR1など、その他のロータリーエンジンを搭載したタイプも製造されています。飛行船に吊るされた最初の寄生戦闘機(パラサイト・ファイター)の実験に用いられたりもしました。

アメリカ軍も使用しましたが、操縦の難しさゆえに事故を起こすパイロットが後を絶たず「パイロット・キラー」と呼ばれました。

 


4.フォッカー三葉機 (Fokker Dr-I)

ウォルドとケスラーの対決でケスラーが操縦します。

 

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ドイツのフォッカー社の技術者ラインホルト・プラッツが、当時開発中でした複葉戦闘機を、イギリスが開発した三葉戦闘機であるソッピース トライプレーンの性能の高さに影響を受けて三葉機に変更したフォッカー V.4から発展しました。型式名の「Dr.」の部分は、Dreidecker(三葉機)を意味している。ただし本機は主脚間にも板を渡して四枚目の翼としており、四葉機に近かいといえます。

かの撃墜王レッドバロン」(赤い男爵)ことマンフレート・フォン・リヒトホーフェンも愛用していたことで知られています。

ドイツ機では非主流派の回転式空冷星型エンジンを採用しました。またエンジンのコントロール(補助スロットル)から機銃の射撃(個別、両方の発射)、クーペボタンまでが操縦桿についているため、右手で操作でき、武装はプロペラの回転と同調するMG08重機関銃(7.92 mmシュパンダウ機銃)を機首に2丁装備していました。

最初の量産機では、翼の付け根の強度に不具合があり、その改修に時間にかかりましたが、コンパクトで翼のアスペクト比が大きく運動性にすぐれ、やや低速ながらも上昇力に優れた機体であった。またラダーの踏み込みによる180度キックターンができる唯一の機体であった。

しかし、分厚い三枚翼により視界が悪く、特に離着陸時の機首が上った姿勢では前が全く見えないほどで、本機が参考としたトライプレーンには、中翼の中央を切り取って視界を確保するなどの工夫が施されていたましたが、Dr.Iにはそうした視界確保の工夫がほとんど施されていず、また、機首上げ時には主翼の後流に尾翼が巻き込まれやすいこともあって、着陸時の事故が続出しました

厚みのある三枚翼(および主脚間の四枚目の翼)は機動性を高めましたが、空気抵抗を増加させ、速度は複葉機よりも遅くで、また重心が高く安定性が悪かったようです。主翼には上反角や後退角がないため、ロール(左右)方向への復原力がないことと、視界の悪さもあいまって、操縦はそれほど容易ではなかったようです。生産機数は320機(1917年~1918年の間)と多くはありませんでした。

 

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5.まとめ

キャメルもフォッカー三葉機もロータリーエンジンといっても冷却効果をねらったエンジンシリンダーがプロペラと共に回転する空冷回転星型のエンジンでありながらそういった画像も見受けられず、レプリカなのかとも思えるし、ケスラーの初登場場面の複葉機水平対向エンジンでどうも近代的なスタント機(ピッツ・スペシャル?)のようにも見えます。

古い映画なので、資料が見当たらないし、細かいことは気にせずに、飛行機に乗るバカの映画を飛行機を観るバカが単純に楽しめば充分でしょう。