映画『ダーティー・ハリー』は、刑事アクション映画のレジェンドに間違いありません!!

この映画『ダーティハリー Dirty Harry』は、1971年製作のアメリカ合衆国の映画で、1970年代のハリウッド・アクション映画を代表する作品の一つであり、その後に製作されたアクション映画に大きく影響を及ぼしました。

監督は『マンハッタン無宿 Coogan's Bluff』(1969)でコンビを組んだドン・シーゲルで、のちにも『アルカトラズからの脱出 Escape from Alcatraz』(1979)などの名作を残しています。

 

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本作品は、度々シリーズ化され、続編4作品『ダーティハリー2』 、『ダーティハリー3』、『ダーティハリー4』(これのみイーストウッド自身が監督)、『ダーティハリー5』が製作されました。

なお、NHK、民放、地上波、BS放送と幾度も放映されており、さらには、5週連続でシリーズを放送されることもよくあります。

目次

 

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1.背景

1)ミランダ警告

1963年3月、アーネスト・アルトゥーロ・ミランダが強盗罪で逮捕され、ミランダは後に、2日前に18歳の女性を強姦したことを自白しました。誘拐・婦女暴行事件について、1966年に連邦最高裁判所が示した判決で、時の最高裁長官アール・ウォーレンの下したものです。この事件ではアリゾナ州裁判所にて有罪判決が下りましたが、のちに上告審において訴訟手続に問題があったとして無罪判決が出ました。

この判決が確定して以後、法執行官は、拘束下にある被疑者に対して取調べを行う際には、ミランダ警告といわれるの4項目を通告することが必要となり、これらを印刷した携帯用カード(ミランダ・カード)もあります。

ただ、逮捕時に警告をすることは必要とされておらず、警察の取調室において初めて警告がなされることも多いのですが、これが為されていない場合の供述は、当該事件(case in chief)に関する公判上の証拠として用いる事ができないとされています。

この判決が確定した後、アメリカでは刑事ドラマにも、逮捕前にミランダ警告を読み上げるシーンが盛り込まれるようになりました。フィクションではありますが本作品も含めて、ミランダ警告が犯罪者側に有利に働く可能性が描かれることも少なくありません。


2)ゾディアック事件

1968年から1974年にかけて、全米を震撼させた事件です。カリフォルニア州サンフランシスコ市内で若いカップルを中心に少なくとも5名が殺害されました。犯行後に警察やマスコミへ多量の犯行声明文を送りつけたことから、「劇場型犯罪」の一つとして有名です。

アメリカでも特に有名な未解決殺人事件として知られ、現在に至るまで真犯人についての証言や主張が多く寄せられている。

 

2.あらすじ

ビルの屋上からプールサイドの女が銃撃され、その後、犯人からの脅迫の手紙がサンフランシスコ警察に届きました。10万ドルの要求に応じなければ、次の犠牲者を同じ手口で殺す、狙うのは牧師か黒人だ、とあり“サソリ座の男”とサインされていました。

シスコ市警殺人課のハリー・キャラハン(クリント・イーストウッド)は、少し前に強盗との銃撃戦で脚に重傷を負っていましたが、事件を知ると、上司のブレスラー(ハリー・ガーディノ)や市長(ジョン・ヴァーノン)らの意向を無視して、犯人追跡に向かいました。

ハリーの意志に反して付けられた相棒のチコ(レニ・サントーニ)は快活な青年で、何事にも反抗的なハリーをいぶかしく思ったりしました。

またしても第2の犠牲者に屋上から照準を合わせている犯人(アンディ・ロビンソン)を警察のヘリコプターが発見したが取り逃がし、ハリーとチコも犯人らしい男を尾行しましたが、逆に町の与太者たちに袋だたきにあってしまいました。

再び犠牲者が出て、“サソリ座の男”の予言どおり黒人でした。ハリーは、犯罪者心理から、犯人はもう一度現場に現れるとにらんで屋上で待ち伏せを開始しました。案の定、現れた犯人と激しい銃弾の応酬となりましたが、うまく逃げられてしまいました。

再び警察に脅迫状が舞い込み、14歳の少女を誘拐して生き埋めにし、少量の酸素を送り込んでいる、すぐ20万ドルの身代金をよこさないと殺す。とありました。

ハリーは20万ドルを持って、犯人の指定したマリーナへ急ぎ、ひそかにチコを背後につけさせました。

突然、毛糸のマスクをした犯人から声をかけられたハリーは、銃を奪われ、いきなり脳天を一撃され、更に蹴りあげられて、殺されそうになりました。草むらから飛び出したチコはピストルを乱射してハリーを助けたましが、犯人との銃撃戦で負傷しました。

しかしハリーの飛びだしナイフは犯人の太ももを傷つけました。重傷にもめげず、必死に逃げる犯人をケザー・スタジアムで捕らえたハリーは、犯人に拷問をかけました。

これが、思いがけなくハリーを窮地に追い込みます。傷を負っている男をきびしく拷問したとして地方検事から告発されてしまったのです。更に、すぐに釈放された犯人の狂言でハリーは訴えられ、遂に市長とブレスラーから謹慎を命じられました。

 

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やがて犯人は、更に大胆な犯行に移ります。スクール・バスを襲い、乗っていた6人の子供と女の運転手ともども空港へ直行し、不敵にも警察へ、逃走用の飛行機を、燃料満載、操縦士付きで用意するよう命じてきました。

謹慎の命を無視して先回りしたハリーは、空港へ近づくバスに鉄道の陸橋から飛び降りました。運転手が失神してバスは採石会社の構内へ突っ込みました。遂に犯人を追い詰めたと思った時、犯人は卑怯にも、そばで釣りをしていた少年を楯にとって逃げ延びようとしました。

 

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間髪をいれずハリーの必殺の銃口が火を吹き、狙いたがわず、弾は少年の頭をかすめ、犯人の肩に食い込みました。犯人は泥沼の中に転倒しました。

ハリーは近づくパトカーのサイレンをよそに、胸のポケットから警察のバッジを取り出して水中に投げ捨てると、ゆっくり歩き出したのでした。


3.クリント・イーストウッド略歴

1930年にサンフランシスコで生まれたイーストウッドは、高校卒業後に木材工場に勤めていましたが、転機が訪れたのは20歳の時。入隊した陸軍で知り合った映画助監督の勧めで俳優の夢が芽生えました。

除隊後、大学で演技を学び、1954年頃から数本の映画に端役で出演するもなかず飛ばず、オーディションにも落ちまくります。29歳の時にTVシリーズ『ローハイド』ロディ・イェーツ役でようやく陽の目を見ました。

しかしながら、番組の人気もやがて低迷、そこでアメリカからイタリアへ渡り、セルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』(1964年)『夕陽のガンマン』(1965年)といったマカロニ・ウエスタンに出演し、「ドル箱」と言われるほどの人気を得ることになりました。

1968年にハリウッドに戻ったのは37歳の時でした。そんな彼の新境地となったのが『ダーティー・ハリー』でした。長い苦難の末に掴んだ栄光。映画スター「クリント・イーストウッド」はこうして誕生しました。

 

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4.まとめ

映画が生んだキャラクター、「ハリー・キャラハン刑事」。汚い仕事ばかり任される彼を人は「ダーティー・ハリー」と呼ぶ。腐敗や怠慢が悪を助長する世の中。法律が尊重されるあまり、無差別殺人犯でさえ簡単に釈放される現状。これでは犯罪者が増えるだけだ。やり場のない怒り。遂に彼は権力に噛みつきます。「なぜ、さっさとぶち殺さないんだ?」

法が力を失った時、ハリーは組織と規律に背を向けて独断で悪を裁きます。独自のやり方で人知れず悪を始末し、クライマックスで彼の怒りに満ちた44マグナムが吠えることになるのです。ハリーは正義でもヒーローでもない。現代に甦った「荒野の用心棒」であり「夕陽のガンマン」なのです。

 

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