映画『007ドクター・ノオ』スパイ・アクション・エンターティメントの元祖です?!

この映画『007 ドクター・ノオ(Dr. No)』は、イアン・フレミングの長編小説『007』シリーズ第6作を原作として、1962年公開のテレンス・ヤング監督のスパイアクション映画です。
英米合作の『007』シリーズの映画化第1作で、ジェームズ・ボンド役をショーン・コネリーが演じた初の作品です。日本初公開は1963年6月で、当時の邦題は『007は殺しの番号』でした。

 目次

 

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1.制作・興収

当初は『007 サンダーボール作戦』が第1作になるはずでしたが、著作権に関する訴訟問題から暗礁に乗り上げ、SF色のある第6作「ドクター・ノオ」が選ばれました。結果的に、米ソの宇宙開発競争や、偶然にも公開時に起きたキューバ危機などから、時事性を帯びた作品となりました。

シリーズ第1作である本作は、100万ドルというシリーズ中最も低予算で製作されたのですが、5,900万ドルもの興行収入を上げ、1962年の映画の世界興行成績では『アラビアのロレンス』の7,000万ドルに次ぐ第2位となりました。


2.ストーリー

1)ミッション

時代は冷戦真っ只中、ジャマイカで、イギリスの情報局に所属するジョン・ストラングウェイが、3人の男達に暗殺されるという事件が発生しました。英国情報局MI6の長官、M(バーナード・リー)はコードネーム007を持つエージェント、ジェームズ・ボンドショーン・コネリー)を現場に向かわせ、事件の捜査をするように伝えます。さらに、アメリカのCIAのエージェントが、ケープカナベラルにおけるロケット打ち上げの妨害の真相を調査することを要請してきます。


2)キングストン

キングストン空港へ到着したボンドは、ある女性カメラマンに自分の姿を撮られている事に気づきます。また、2人の男性が彼の後をついていきました。ボンドは1人を格闘で倒し、もう1人である運転手を尋問しようとしますが、彼は毒で自殺してしまいます。

 

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ボンドはストラングウェイの自宅を捜査する中、彼は漁師の写真を見つけます。その漁師の名前はクォレル(ジョン・キッツミラー)と言うことを突き止めたボンドは、彼に会いますが、取り合ってくれません。

クォレルはボンドをある酒場に連れていくと、1人の男に渡します。その男はフェリックス・ライター(ジャック・ロード)という男で、ジャマイカからくる謎の信号を捜査していたCIAのエージェントでもあったのです。クォレルの話から、ストラングウェイをガイドしていたことが分かります。


3)クラブ・キー島

彼をガイドしていたのは、ある島で、ストラングウェイはその島の鉱物サンプルを採取していたと言うのです。また、クォレルはボンドに、その島が厳重な警備と、レーダーによって防御されていること、またその島はクラブ・キーといい、オーナーがDr.ノオ(ジョセフ・ワイズマン)という人物である事を伝えました。


4)デント教授

ボンドがストラングウェイの自宅を再捜査すると、レシートを発見し、そこにはデント教授(アンソニー・ドーソン)という名が記されていました。デント教授は岩に詳しく、ストラングウェイと研究をしていたと言うのです、ボンドはデント教授に会い、デント教授は彼をクラブ・キーへ案内します。

そこでデント教授はボンドを暗殺しようとしますが、失敗し、ボンドが寝室で寝ているところをタランチュラで襲いますが、またしても失敗してしまい、逆にボンドから殺されてしまいます。


5)クラブ・キー島に潜入

ボンドはクォレルを説得し、クラブ・キー島へいく事にします。そこでボンドは美しいハニー・ライダー(ウルスラ・アンドレス)と呼ばれる女性に会い、彼女が彼に協力してくれる事となります。

 

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彼らが島を進むと、伝説のドラゴンと呼ばれる火炎放射器が備えられた装甲車に攻撃されます。クォレルはその炎に焼かれ、ボンドとライダーは拘束され、施設の中へ入ると身体を除染されます。


6)ドクター.ノオとの戦い

その後、彼らはドクター・ノオの夕食へ呼ばれ、ドクター・ノオは自分が国際テロ組織スペクターの一員であること、そしてアメリカの宇宙ロケット打ち上げを自身のレーダーで妨害することを暴露します。

 

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夕食後、ライダーとボンドは別々に隔離されます。ボンドは、隔離されていた場所から脱出し、ドクター・ノオが指揮をしているセンターへ行くと、ドクター・ノオと対峙、素手で格闘を行うと、ドクター・.ノオは沸騰した放射能プールへ落下し、絶命します。ボンドはライダーのところへ駆け寄り、彼女を救出すると、ボートでクラブキーを脱出します。クラブキーは爆発炎上していきました。


3.評価

本作は興行的には大成功したものの、公開直後の映画評論家や映画メディアの評判はさんざんなもので、セックスとバイオレンスに満ちた下品な映画といった評が典型的なものでした。

 

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その後、少しずつ評価は上がり始め、『ロシアより愛をこめて』『ゴールドフィンガー』などの名作が制作されるころには、本作も、評価されるようになりました。

初期の映画評としてはタイムが、「ほとんどいつも少し愚かに見える」「巨大な毛むくじゃらのマシュマロ」ボンドとひどい言いようでした。ニューリパブリックのスタンリー・カウフマンは、映画が「サスペンスかどうかを決定しないと感じた」と述ていました。

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バチカンは「暴力、下品、サディズムとセックスの危険な混合物」と非難しました。クレムリンは「ボンドは資本主義の悪の擬人化である」と述べていますた。しかしながら、両者の論理は、映画とより多くの映画の観客の人々の意識を高めるのに役立ちました。

デイリーエクスプレスのレナード・モーズリーは、「ドクターノーはずっと楽しいし、セックスも無害である」と述べています。一方で、「オブザーバー」のペネロペ・ギリアットは「水没した自己パロディでいっぱい」と述べました。ガーディアンの評論家は「007ドクター・ノオは、ぱりっとし、よく仕立てており」「きちんとしたスリラーである」と評価しました。

 

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公開後の数年間で、人気が高まり、1986年にダニーピアリーは、本作を「イアンフレミングの楽しいスパイ・スリラーの巧妙に考案された映画」と説明し、「画面には、セックス、暴力、ウィット、素晴らしいアクション・シーケンス、そしてカラフルな雰囲気があったし、印象的なパフォーマンスを提供していた」と執筆しています。


4.ショーン・コネリー

 

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1)出自

スコットランドエディンバラアイルランド系の家庭に、職工、トラック運転手の父ジョセフと、洗濯女の母、ユーフェミアのとの間に生まれました。先祖の地はアイルランド東部ウェックスフォード州。


2)職歴

義務教育修了後最初に得た仕事は牛乳配達でした。その後イギリス海軍に従軍するも、健康上の理由で除隊し、トラック運転手、労働者、美術モデルやライフガードなど種々の仕事をしながらボディビルジムに通いました。1953年にはミスター・ユニバース・コンテストの重量上げ部門で3位入賞したが、その時に出場者の一人に演技の道に進むように勧められ、1954年からテレビや劇団に出演するようになりました。


3)スコットランド

スコットランド人としての矜持が強く、その独特のアクセントを矯正したことは一度もなく、ジェームズ・ボンド役を引き受ける際もアクセントを矯正しないことを絶対条件としました。このため、ボンドは原作に於いてスコットランド出身という設定が付け加えられました。ボンド以外の役柄も『風とライオン』等のように、スコットランド出身という設定に変更したものが多いくあります。


4)ジェームズ・ボンド

1961年、ジェームズ・ボンド役として5本のボンド映画に出演する契約を交わし、翌1962年の『007 ドクター・ノオ』で知名度は世界的に上昇しました。『ロシアより愛をこめて』『ゴールドフィンガー』『サンダーボール作戦』『007は二度死ぬ』など5作出演の契約を履行しました。

ロシアより愛をこめて』は特に評価が高かく、その後も1971年『ダイアモンドは永遠に』と1983年『ネバー・セイ・ネバー・アゲイン』など2回の返り咲きで、計7本の作品でボンド役を務めました。

自己紹介の台詞「The name is Bond, James Bond.」を初めて使い、以来2作を除く全作で使われるようにした張本人でもあります。


5)フィルモグラフィ・受賞

ボンド、或いはボンドのパロディ的役どころのような、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』、『ザ・ロック』等を演じることには積極的ですが、プロデューサーであるアルバート・R・ブロッコリやハリー・サルツマンとの仲は芳しくなく、シリーズへの復帰には消極的でした。『ネバーセイ・ネバーアゲイン』(1983年)は彼らの干渉を受けずに自ら製作した作品でした。

『007』以外にも様々なジャンルの映画にも意欲的に出演し、ヒッチコック作品の『マーニー』(1964年)やオードリー・ヘップバーンと共演した『ロビンとマリアン』(1976年)など、出演数はひじょうに多い。1987年には『アンタッチャブル』でアカデミー助演男優賞を受賞。1998年にブロードウェイで『'Art'』を製作し、トニー賞 演劇作品賞を受賞しています。

2006年にアメリカ映画協会(AFI:American Film Institute)の生涯功労賞を受賞したのを機に、俳優業引退を宣言しました。


6)人物と思想

2000年にイギリスのエリザベス2世女王からナイトの称号を与えられましたが、スコットランドの分離独立を主張するスコットランド国民党の熱烈な支持者でもあります。授与式には、民族衣装キルトで正装して現れました。なお、彼は「スコットランドが独立するまで私は死んでもスコットランドに帰らない」とまで明言しています。

 

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5.まとめ

半世紀以上も前の作品を今の感覚で評価するのは愚かのことで、むしろ、時代の変遷、科学の発展、映像の変化、ファッション、俳優の昔、を楽しむのが面白いでしょう。


世紀を隔てた今も愛されている本作は、ある意味偉大と言って間違いありません。