映画『鬼龍院花子の生涯』これで夏目雅子はレジェンドになりました!!

この映画『鬼龍院花子の生涯』は、宮尾登美子の長編小説を原作とし、監督は、 五社英雄仲代達矢夏目雅子の共演で1982年に公開されました。

大正、昭和の高知を舞台に、侠客鬼龍院政五郎(通称・鬼政)とその娘花子の波乱万丈の生涯を、12歳で鬼政のもとへ養女に出され、約50年にわたりその興亡を見守った松恵の目線から描いた作品です。

目次

 

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1.制作

1)ヒロイン

本作のプロデューサー日下部五朗は、社長の岡田茂から女性客の動員を見込める映画を作り、それまでの東映京都撮影所が続けてきた男性客一辺倒の転換を求められていました。

そのころ、梶芽衣子は「ぜひこれを私の主役で…」と宮尾登美子の小説『鬼龍院花子の生涯』を当時、企画窓口だった奈村協に企画を持ち込んでいました。ところがなかなか返事が来ず、東映がダメなら独立プロで製作してもいいと思い始めた頃、東映が『鬼龍院花子の生涯』の映画化を発表します。

 

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企画者他、梶の名前は全くなく、寝耳に水の話に呆然の梶に奈村から電話があり、「ほかの役ならどれでもいいって、五朗ちゃんが言っている」と伝えられました。
「これがあなた方のやり方なのですね」と電話を切ったそうです。

何の後ろ盾もない梶にはどうすることもできず、『鬼龍院花子の生涯』という作品は意識から切り離すしかなかったのです。

女優が本を送ってくるということは「自分がヒロインをやりたい」という暗黙の意思表示ですが日下部は「松恵」を梶が演じるには大人すぎると判断し、梶には「松恵」以外の役なら誰でもキャスティングすると説得しましたが梶は譲らず、企画のきっかけを与えてくれた功労者との交渉は決裂したと話しています。

五社は主役を大竹しのぶと考え、長い期間、交渉を続けていました。しかしスタッフの厳しさが評判になっていた京都撮影所の仕事を大竹が頑なに嫌がり、東映の社史『クロニクル東映』での五社の証言でも「主演は大竹しのぶさんを候補に挙げていたのだが、どうしてもOKがとれなかった。『アクションの五社作品では(出演したくない)』ということではなかったかと思う」と書かれています。

 

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その他、当時の五社の評判は、芸能界であまり好ましいものではなく「あの監督にかかったら、何をされるか分からない。間違いなく脱がされるだけ」と、特に女優の間で敬遠されていました。

大竹が降りると言ってきて五社は連日酒を飲み、「上等だ!大竹しのぶがなんぼのもんじゃい!」と息巻いていたといわれています。

スタートから頓挫しかけてきたころ、夏目の名が挙がり、夏目が五社に電話してきました。「わたしはモデル上がりの女優の卵です。今度の映画の企画のことを知りました。ぜひ、わたしにやらせてください」。

ハキハキした声でこう話すと10分もたたぬうちに、五社の自宅に夏目が訪問してきて、直接交渉には応じない流儀の五社は、直ちに「帰ってくれ」と口を出しかけたとき、いきなり夏目は『鬼龍院花子の生涯』の台本を玄関の土間に置くと、その上に正座して両手を突いて「このホンにのりました」と言ったそうです。


2)プロデューサー

映画公開から11年経った1993年の映画誌のインタビューで日下部は「『鬼龍院花子の生涯』や『楢山節考』なんて映画は、ぼくが東映の社員プロデューサーだからできたんで、これが独立プロデューサーで、自分がカネ集めて勝負する、大冒険はやれなかったと思いますね。やらせて貰ったんだという気持ちはあります。それは独立して、己の才能を賭けてね。損も得も一身で荷うというのが本来のプロデューサーだとは思いますが、今の映画界の状況では難しくて。まあ最初ドカーンと当てりゃ、あと2本ぐらい作れるでしょうけど、最初の2本外したらもうエンドでしょうね。才能を持っていたとしてももう無理でしょう。東映の社員プロデューサーですから、当たっても当たらなくても、責任は取らなくていい立場にある。思うようにやれるということはあります。」と言っています


3)濡れ場

五社英雄は本作の濡れ場の演出で、自ら裸になり、同じく裸になった助監督を相手に実演しながら、濡れ場の動きを女優たちに伝えました。助監督の足の指まで舐め、羞恥心をかなぐり捨てた演技指導の迫力に圧倒され、夏目雅子夏木マリ、佳那晃子ら女優たちが次々とヌードになり、濃厚な濡れ場を展開しました。

 

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五社は「女優はいくら金を積んで拝み倒しても、そう簡単に映画で脱ぐものではないし、ハードな濡れ場はやりたがらない」

「相手を信用させること。信用させるために自分が率先して恥をかく。ラブシーンは、助監督と一緒になって動きの全てを細大漏らさず女優の前でやって見せる。組んずほぐれつを汗だくだくで真剣そのものをやって見せる。」

「濡れ場を撮影するとき、役者と同じに演じて見せる監督は俺ぐらいだろう。たいていは、現場に来て役者に『好きなようにやってみてください』と言うのがおちなんだ。誰だって恥はかきたくない。しかし監督は女優の恥の限りを引き出して見せるのが商売だ。それには、こっちが先に恥をかかなければ相手を安心させることなんてできない」などと話していました。

 

2.ストーリー

1)プロローグ

大正10年、松恵(仙道敦子)は土佐の大親分・鬼龍院政五郎(仲代達矢)の養女となりました。松恵は政五郎の身の回りの世話を命じられましたが、鬼龍院家では主屋には正妻の歌(岩下志麻)が住み、向い家には妾の牡丹(中村晃子)と笑若(新藤恵美)が囲われており、その向い家に政五郎が出向く日を妾二人に伝えるのも幼い松恵の役割りでした。

 

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2)因縁

ある日、政五郎は女や子分たちを連れ土佐名物の闘犬を見に行きました。そこで漁師の兼松(夏八木勲)と赤岡の顔役・末長(内田良平)の間で悶着がおき、政五郎の仲介でその場はおさまったものの、末長は兼松の持ち犬を殺すという卑劣な手段に出ました。

 

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怒った政五郎は赤岡に出むきましたが、末長は姿を隠していました。帰りぎわ、政五郎は末長の女房・秋尾(夏木マリ)の料亭からつる(佳那晃子)という娘を掠奪しました。


3)花子誕生

この確執に、大財閥の須田(丹波哲郎)が仲裁に入り一応の決着はつきましたが、以来、政五郎と末長は事あるごとに対立することになりました。これが機縁となってつるは政五郎の妾となり、鬼篭院の女たちと対立しながら翌年、女児を産みました。花子と名付けられ、政五郎はその子を溺愛しました。勉強を続けていた松恵(夏目雅子)は、政五郎に反対されながらも女学校に入学しました。


4)運命の出会い

昭和9年土佐電鉄ストライキの嵐にみまわれ、筆頭株主である須田の命を受けた政五郎はスト潰しに出かけました。そこで政五郎はストを支援に来ていた高校教師の田辺恭介(山本圭)と知り合い意気投合し、須田から絶縁されるハメに陥りました。

しかしながら、政五郎は意気軒昂、田辺を16歳になった花子の婿にし一家を継がせようとしましたが、獄中に面接に行かされた小学校の先生となっていた松恵と田辺はお互いに愛し合うようになっていました。やがて出所した田辺は政五郎に松恵との結婚を申し出、怒った政五郎は田辺の小指を斬り落とさせました。

 

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そして数日後、政五郎に挑みかかられた松恵は死を決して抵抗、転勤を申し出、鬼龍院家を出ました。

 

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5)歌の死

16歳になった花子と神戸・山根組との縁談が整い、その宴の席で歌が倒れました。腸チフスだったのです。急遽呼び戻された松恵の必死の看病も虚しく歌は死にました。

 

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松恵は再び家を出、大阪で労働運動に身を投じている田辺と一緒に生活するようになりました。しかし、花子の婚約者がヤクザ同士の喧嘩で殺されたのを機に、田辺と共に鬼龍院家に戻りました。


6)田辺の死

南京陥落の提灯行列がにぎわう夜、花子が末長に拉致され、これを救おうとした田辺も殺されました。松恵は田辺の郷里の徳島に行き遺骨の分骨を求めましたが、遺族は固辞したのでなかば強奪し、「なめたらいかんぜよ!」と有名な言葉を放ちました。

 

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7)終焉

高知に戻った松恵に別れを告げ、政五郎が末長に殴り込みをかけたのはその夜のうちでした。

 

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それから二年後、政五郎は獄中で死に、そして数年後、松恵がやっと消息を知り大阪のうらぶれた娼家に花子を訪ねた時、花子も帰らぬ人となっていたのでした。


3.よもやま話

1)急病

初日の撮影が終わった後、夏目が五社に「隠していたことがあります」と話を切り出し「もう降ろされる心配はないと思うので申します。実はバセドー病が悪化して入院することになりました。手術のため1カ月休ませてください。だましてごめんなさい。どうしてもこの仕事をやりたかったのです」と言い出しました。

最初から病気のことが分かっていたら「松恵」役を降ろされていたでしょうが、ルール違反をあえてするほど、夏目はこの役に執着していました。主役が急に休み混乱しましたが、夏目の病気療養中は、先に仙道敦子による子供時代の「松恵」の撮影を進めました。


2)酒豪

夏目雅子は、ウイスキーをボトル1本、それもストレートであける。しかしどんなに飲もうと、翌朝はきちんと時間通りに撮影現場に来るので文句は付けようがなかったそうです。
完成後のキャンペーンで高知に行った時、旅館で五社と仲代達矢が夏目を酔わせて口説こうとしましたが、夏目は酒が滅法強く先に五社と仲代がひっくり返ったそうです。しかしながら、主演の仲代は、後年の回想録で、共演者に気を遣う夏目を褒めています。

 

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3)宣伝

1960年代から1970年代にかけて東映京都撮影所で制作した作品に女性客はほとんどいず、あるいは恐れて近寄りませんでした。そのため女性客を東映の劇場に呼び込むためには、今度の作品は今までとは違うというアピールが特別に必要でした。

取り立てて期待を寄せていなかった新人女優・夏目雅子の豹変に、現場スタッフも度肝を抜かれ、京都から送られてきたプリントを見た宣伝スタッフも夏目の台本には書かれてなかった「なめたらいかんぜよ!」の啖呵を切るシーンを見て予告編とテレビスポットに使うことを決めました。

その結果、「なめたらいかんぜよ!」の言葉は世間に知れ渡り、『鬼龍院花子の生涯』が大ヒットするきっかけとなりました。本作の新聞広告は、1982年度の朝日広告賞を受賞しています。

 

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4.まとめ

タイトルは『鬼龍院花子の生涯』ですが、「松恵」のナレーションとは言え「松恵」の生涯にほかならず、原作に完全に忠実でなく、原作者もこの映画化に満足していたそうであるならば、「鬼龍院松恵の生涯」もしくは「鬼龍院政五郎の半生」とか全く別のタイトルの方が良かったのではないかと思いますが、制作側にヒットの確信がなく、原作小説の原題に頼ったのかもしれませんね。

 

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