この映画『追憶(The Way We Were)』は、1973年のアメリカ映画で、バーブラ・ストライサンドと、ロバート・レッドフォードが共演しています。監督は、シドニー・ポラックで、脚本を書いたアーサー・ローレンツは、大学時代に体験した学生運動を元にストーリーを練り上げました。
目次
1.紹介
監督デビュー当初より、大物スター出演の話題作を手がけていたシドニー・ポラックが、当時の若手のトップスター、バーブラ・ストライサンドと、3度目のコンビとなるロバート・レッドフォードを起用した作品です。
ゆったりとした雰囲気で進むストーリーの背景には、激動の時代があり、情熱的な理想主義者の政治活動家と、現実的な脚本家の意見の食い違いが当然のように起きて、物語は揺れ動きます。
人生のある期間、共に歩んだ日々が最高だったと思わせるラストの演出と、映画史上に残る名曲、バーブラ・ストライサンドの歌う主題曲”The Way We Were”のメロディーは心に沁みいってきます。
その曲を、ドラマの中で効果的に挿入した、マーヴィン・ハムリッシュの、甘く切ない音楽も印象に残り、第46回アカデミー賞では、上記の作曲、歌曲賞を受賞し、主演女優(バーブラ・ストライサンド)、撮影、美術、衣装デザイン賞にノミネートされました。
2. ストーリー
1)プロローグ
第二次大戦中のニューヨークのこと、ラジオ局に勤めるケイティー・モロスキー(バーブラ・ストライサンド)は、あるクラブで、海軍将校ハベル・ガードナー(ロバート・レッドフォード)を見かけて学生時代を思い出します。
2)出会い
時は、1937年。政治活動に熱中する苦学生ケイティーは、学生達を前にした構内の集会演説で、スポーツ万能のエリート学生ハベルに注目されました。
ハベルは、ケイティーのバイト先で、彼女を茶化す親友J.J.(ブラッドフォード・ディルマン)や恋人のキャロル・アン(ロイス・チャイルズ)の無礼を詫びるのでした。その後、ケイティーもハベルが気になる存在になってきます。
ケイティーは、寝食を忘れ課題の短編を執筆したのですが、同じ講義をとっていたハベルの短編が優秀作として朗読されてしまい、ショックを受けるのでした。
3)接近
そして、イギリス国王の王位を捨て、アメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの恋を選んだ、ウィンザー公の結婚式の日に、ケイティーはハベルに街角で声をかけられました。
他愛も無い話をした二人は、卒業を控えお互いの今後に希望を抱きながら別れました。卒業パーティーで、ケイティーはハベルを意識しながら、同じ活動家の親友フランキー・マクヴィー(ジェームズ・ウッズ)と踊っていました。
そこにハベルが現れ、ケイティーをダンスに誘い、暫く踊った後、彼はその場から姿を消しました。
4)時は巡り
ニューヨークのクラブで酔いつぶれたハベルをケイティーは、自分のアパートに誘いましたが、そのままベッドで寝てしまいます。ケイティーは、そっとハベルの傍らに横たわりますが、彼が自分だと分かっていないことに気づくのでした。
翌朝ハベルは、そそくさと身支度をして配属先のワシントンD.C.に向かってしまいました。
5)再会
その後、再びニューヨークを訪れたハベルは、ケイティーに連絡して再会します。ケイティーはハベルを歓迎し、彼の出版した小説を率直に批評しました。
やがて、二人の心は通い合い交際を始めますが、ハベルの旧友J.J.のパーティーに招かれたケイティーは、疎外感を感じてしまうのでした。ケイティーは、J.J.とハリウッド行きを模索するハベルと、意見が合わずにいました。
しかしながら、次の作品を執筆したハベルは、それをケイティーに気に入られるのでした。
6)妥協
1945年4月。終戦を目前に、ルーズベルト大統領が亡くなり、国民の心は悲しみに包まれます。そして、その後、再びJ.J.達の集まりに顔を出したケイティーは、大統領の死をジョークにする彼らに憤慨して、痛烈に批判します。
制止も聞かないケイティーにハベルは呆れ果て、彼女はその場から去ってしまいました。
その後、ラジオ局にケイティーを訪ねたハベルは、彼女に別れ話を持ち出います。ハベルは、またもや興奮し始めたケイティーを黙って見つめます。ハベルは、彼女が冷静さを取り戻したところで、アパートの合鍵を渡すのでした。
帰宅したケイティーは、ハベル所持品を片付けるが、J.J.の所にいるはずの彼に電話して呼び出してしまいます。
ケイティーを訪ねたハベルは、彼女との生活や考え方の違いを語りますが、結局ケイティーはハベルとの妥協点を見つけ、彼と共にハリウッドに向かうことになりました。
7)赤狩り
新生活を楽しむ二人は、映画監督ジョージ・ビッシンジャー(パトリック・オニール)を訪ね、プロデューサーになったJ.J と結婚した、ハベルの学生時代の恋人キャロル・アンと再会します。
ある日、ケイティーはハベルに妊娠していることを告げますが、その頃、世間を騒がす「赤狩り」の波がハリウッドにも押し寄せ、彼女がその批判を始めました。
J.J.は、このままケイティーを放っておくと、自分達の身が危険だということをハベルに伝え、彼女の行動を止めさせるように説得するのでした。
ケイティーはそれを聞き入れることなく、議会証言を拒否した「ハリウッド・テン」の抗議運動に同行するため、ブルックス・カーペンター(マーレー・ハミルトン)らと共にワシントンD.Cに向かいました。
ハリウッドに戻ったケイティーは、彼女の行動が無駄だと言い張るハベルに再び激しい持論をぶつけてしまうのでした。
8)別れ
活動を続けるケイティーと、距離を置き始めたハベルは、J.J.と不仲になってきている、かつての恋人キャロル・アンに心を寄せるようになります。
それを知ったケイティーは、子供が生まれるまでの間は傍にいて欲しいことをハベルに伝えるのでした。
やがて、ケイティーは女の子を出産し、そしてハベルは彼女の元を去っていきました。
9)再会のはてに
時は流れ、ニューヨークに戻っていたケイティーは、偶然にも、仕事で訪れていたハベルに、「プラザホテル」の前で再会しました。
共に再婚していた二人は、簡単な会話を交わして別れ、ケイティーは街角での政治活動に戻りましたが、ハベルが再び駆け寄り話しかけました。
ハベルを自宅に誘うケイティーだったが、彼はそれを断り、娘のことを訪ねました。彼女のことを自慢気に語るケイティーと、それをハベルは、安堵の表情で聞き入りました。
二人には、最高の時を共に過ごした想い出が去来するのでした。
そしてハベルは妻の待つタクシーに向かい、ケイティーは、原発を批判するビラ配りを始めるのでした。
3.四方山話
1)赤狩り
赤狩り(Red Scare)は、政府が国内の共産党員およびそのシンパを、公職を代表とする職などから追放したことで、第二次世界大戦後の冷戦を背景に、主にアメリカとその友好国である西側諸国で行われました。
1953年より上院政府活動委員会常設調査小委員会の委員長を務めた、マッカーシーらに「共産主義者」や「ソ連のスパイ」、もしくは「その同調者」だと糾弾されたのは、アメリカ政府関係者やアメリカ陸軍関係者だけでなく、ハリウッドの芸能関係者や映画監督、作家、さらにはアメリカの影響が強い同盟国であるカナダ人やイギリス人、日本人などの外国人にまで及び、「赤狩り」の影響は西側諸国全体に行き渡ることになりました。
2)制作秘話
a)原案
この物語は、舞台版『ウエスト・サイド物語』(1957年)等の劇作家として知られる脚本家のアーサー・ローレンツが、母校のコーネル大学在籍中に出会った学友との想い出がベースになっています。ケイティのモデルとなった、彼女はアメリカ共産党連盟に所属し、スペイン内戦(1936~39年)での人民戦線政府を支援する活動をキャンパス内で展開していました。平和な学園で日々声高に反ファシストを訴え続けた孤独なその姿に感銘を受けたローレンツが、学生時代を回想しつつ筆を取ったのがすべての始まりです。
b)物語の変遷
ローレンツは、『ひとりぼっちの青春』(1969年)の演出力を評価して、シドニー・ポラックを監督に希望していました。しかし、ローレンツはポラックを監督に選んだことを後悔し始めます。ケイティを主軸に書いたはずの脚本が、ポラックの意向によりケイティとハベルが同等に描かれる男女間の物語へと、次第に書き換えられていきました。
c)紆余曲折
混迷する脚本作りは、その後に、ダルトン・トランボ、アルヴィン・サージェント、パディ・チャイエフスキー等、名だたる名脚本家を始め、計11人を総動員して行われましたが、完成した脚本をストライサンドとレッドフォードが気に入らず、結果、ボツになり、ローレンツが再び呼び戻されることとなりました。
d)結果
ローレンツ復帰後も、彼とポラックの間では、物語をポリティカルとラブロマンスのどちらに比重を置くかについて議論が続き、最終的にはポラックの案が通った形になりましたが、2人がせめぎあった思惑のそのままに、愛と主義のせめぎ合いの物語となりました。
3)続編
映画公開から10年後、アーサー・ローレンツはレッドフォードに続編のアイディアを提案します。それは、ハベルとケイティの娘の確執を描いた内容でしたが、レッドフォードが満足せず、お蔵入りになりました。
1982年には、レイ・スタークが発案した続編の素案がシドニー・ポラック経由でローレンツに提示されますが、これも実現せず。さらに、1996年にはローレンツ脚本、ストライサンド監督&主演、レッドフォード共演という豪華な企画が持ち上がりますが、それも頓挫しました。
4)音楽『追憶』
本作のテーマ曲『追憶』は多くのアーティストにカバーされています。
主なところで、
アンディ・ウィリアムス、ビング・クロスビー、グラディス・ナイト&ピップス、ペリー・コモ、ジャッキー・エヴァンコ
日本では、
尾崎紀世彦、薬師丸ひろ子、松田聖子 らがアルバムを出し、以下の人々が歌っています。
笠井紀美子、ペドロ&カプリシャス、テレサ・テン、森山良子、M-flo、吉田美奈子、綾戸智恵、マーサ三宅、弘田三枝子、岩崎宏美、桜田淳子、宝塚歌劇団、クミコ、朱里エイコ、渡辺美里、ペギー葉山、舟木一夫、しばたはつみ
4.まとめ
これが単なるラブロマンスでないことは明らかでで、生き方の違い、価値観の違いが、愛情をも凌駕していき、甘美なメロディーの中に、人生の苦味が甘さよりも強く舌の上に残ってきます。
アカデミー賞女優バーブラ・ストライサンド、ファニーフェイスながら妙にチャーミングにも見えます。彼女の顔と音楽だけ観てても飽きません。
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