『西国三十三所』車で巡礼、古希まじかCOPDオジサンの旅!【紀行遍3・二十、二十一、二十八、二十九番】



さて、西国三十三所巡礼も3回目となりましたが、秋も深まり山中にあるお寺のお参りは積雪が心配になってきます。

拙宅は降雪の滅多にないところなので、スタッドレスタイヤは履いていないため、とにかく雪の降らないうち、積もらないうちに、積もらないところへ行かねばなりません。

そこに、知人から、西日本観光周遊ドライブパスの存在を聞いてこの際、遠方へでかけることにしました。

このドライブパスは、NEXCO西日本の管内で指定された地域で二日間6,000円で高速道路乗り放題というものです。

京都府南部から最も北方遠隔地となる成相寺宮津市まで往復1万円弱、途中で寄り道をすると軽く1万円を超えます。二日目として西方、圓教寺姫路市までもやはり往復1万円弱なので、これはもう使わないほうはないのです。

よって、今回は西国三十三所巡礼最北地と最西地にお参りさせて頂き、2回に分て報告させて頂きます。

 目次

 


第二十八番 成相寺

本堂

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日本三景天橋立を望む景勝地にあり、身代わり観音のお話で知られる願い事がかなう(なりあう)お寺として有名です。
本尊は聖観世音菩薩で美人観音としても知られ、お参りすれば身も心も美しくなれると伝えられています。
春は桜・しゃくなげ、秋はもみじなど花の名所としても人気です。

1.アクセス

大阪からは、中国自動車道、吉川JCTから舞鶴若狭自動車道、綾部JCTから京都縦貫自動車道、与謝天橋立ICから国道176・178

京都からは、京都縦貫自動車道、与謝天橋立ICから国道176・178

 

・お車でお越しの場合は、国道178号線から丹後郷土資料館へ向かってお進み下さい。
・冬期は積雪が多いため、国道に雪が無くても寺院付近には積雪があります。
・十分な装備と雪道に経験がない方は、冬期の車での登山はお控え下さい。

※ご注意
成相寺にナビを設定すると通行止の丹後縦貫林道を案内される場合が多いようです。
ナビの設定は丹後郷土資料館(0772-27-0230)にしてください。そこからは一本道です。


1)駐車場

駐車料金はありませんが、ゲートがあって一人500円の入山料をお支払いすることになります。

参拝前チェック! 激坂注意 西国28番成相寺参道(車載動画

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2)境内図

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2.縁起

寺伝によれば慶雲元年(704年)、真応上人の開山で文武天皇勅願寺となったといいますが、中世以前の寺史は判然としません。

寺は天橋立を一望する鼓ヶ岳(標高569m)の南東山腹の標高328m辺りにありますが、創建時は山のさらに上方に位置し、修験道の道場となっていました。現在地に移ったのは応永7年(1400年)の山崩れ以降です。山号は古くは「世野山」と称し、雪舟の『天橋立図』(京都国立博物館蔵、国宝)には、「世野山成相寺」の書き込みとともに当寺が描かれています。

2007年(平成19年)、高野山真言宗から独立し、真言宗単立寺院となりました。

3.みどころ

1)身代わり観音

一人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中深雪の為、里人の来住もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり、餓死寸前となりました。死を予感した憎は「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈りました。
すると夢ともうつつとも判らぬ中で堂の外に狼の為傷ついた鹿が倒れているのに気が付きました。僧として、肉食の禁戒を破る事に思い悩んだが命に変えられず、決心して鹿の腿をそいで鍋に入れて煮て食べました。
やがて雪も消え里人達が登って来て、堂内を見ると本尊の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散って居ました。
それを知らされた僧は観音様が身代わリとなって助けてくれた事を悟り、木屑を拾って腿につけると元の通りになりました。


2)眺望

天橋立観光のメイン、天橋立ビューランドの対岸になります。駐車場より「成相山パノラマ展望台」へ7分ほどの道があり、天橋立を俯瞰できます。
対岸の賑わいとは対照的に、休みがちな「美人茶寮」と願掛けの皿投げコーナーがあるだけでひっそりとしたものですが、眺望は素晴らしいものです。
天気のいい日には能登半島や白山まで見渡せ、日本一のパノラマ展望台といわれるほど、他と類を見ないほどすばらしい景観です。


4.四方山話

天橋立には約10年前に来ておりまして「成相山パノラマ展望台」へも上がっていました。当時は舗装もされていず、「美人茶寮」や願掛けの皿投げもなく、記念撮影用の台があるだけの閑散としたものでしたが、それなりに野趣もありました。途中で一服した茶屋がつぶれて無くなっていたのは寂しい限りです。

 

第二十九番 松尾寺

手水所 本堂

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若狭富士の名で知られる青葉山の中腹に経つ松尾寺は、西国三十三霊場では唯一、馬頭観世を本尊とし、滅罪生善はもとより、農耕水産の守り仏として、或いは牛馬畜産、車馬交通、更には広く競馬関係者の信仰をあつめています。

国宝、普賢延命像(絵画)をはじめ、快慶作の阿弥陀如来坐像など多くの文化財を所蔵し、春・秋の各2ヶ月間、境内の宝物殿で展示公開されます。


1.アクセス

京都方面からは、京都縦貫道丹波IC=国道9号線=国道27号線]

大阪方面からは、中国自動車道舞鶴若狭自動車道舞鶴東I.C下車]

神戸方面からは、新神戸トンネル阪神高速神戸線六甲北有料道路中国自動車道舞鶴若狭自動車道舞鶴東I.C下車]

 

参拝前チェック! 離合困難 西国29番松尾寺参道(車載動画

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1)駐車場

仁王門の直下に駐車場があり、庫裏の納経所で500円の料金を納めます。

 

2)境内図

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2.縁起

中国から渡来した威光上人が青葉山中の松の大木の下で修行中に馬頭観音像を感得し、和銅元年(708年)にこの松の木の下に草庵を造って、観音像を安置したのが松尾寺の創始とされています。
一方、10世紀末に海難に遭った漁師が馬頭観音の化身といわれた流木にすがって救われ、この木で馬頭観音を刻んだという説もあるそうです。
元永2年(1119年)には鳥羽天皇行幸があり、信仰をあつめ大寺として繁栄したようです。
その後、何回かの火災に遇い、また織田信長の兵火による全焼もありましたが、細川幽斎や京極家の援助で復興し、現在の寺観になったのは享保15年(1730年)になります。


3.みどころ

1)本堂

石段を上がりきると本堂と常香炉の屋根が眼前に迫ってきます。常香炉の前には灯籠があり、真正面から見ると、灯籠・常香炉屋根の宝珠・本堂の屋根の宝珠が一直線に並び、左右対称で調和と均整が取れた美しさを感じます。訪れた人に、この造形を見て神秘さを感じさせます。
本堂は二重屋根・宝形造り・銅板葺きの、特徴的なデザインで、1720年に着工し、10年かけて1730年に完成したとされます。


2)烏蒭渋摩明王殿

「仁王門」をくぐって直ぐ右手に進むと「烏蒭渋摩(うすしま)明王殿」(左の写真)の表示がある比較的新しい感じのする建物があります。

 

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この建物はトイレであることは分かるけれども、それにしても見慣れない表示です。
トイレの中には写真に見られるようなトイレの仏様「烏枢瑟摩(うすしま)明王」(何故か表の表示とは文字が異なっている)の像が掲げられています。「烏枢瑟摩明王」は全ての汚濁を清める働きをもっているとされ、便所の守護仏とされているようです。用便できることの感謝と清浄に保つことの誓いを新たにするよう、トイレが「うすしま明王殿」と名付けられています。

 

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写真の明王像は男性用のトイレに掲げられている明王で、女性用のトイレにも明王像が掲げられていますが、男性用トイレのものとは異なったものです。


4.四方山話

こちらも結構な山道で当初の目論見である積雪について、ご朱印を頂くときに訪ねると11月はまだしも12月は厳しいものがあるそうです。
君子危うくに近寄らずで、どうしてもというならば周到な問い合わせが肝要かと思います。

 

 

 

第二十一番 穴太寺

仁王門

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本堂には諸病を癒すといわれている等身大の木造釈迦涅槃像(なで仏)があり、人々の信仰をあつめています。境内の庭園は室町時代末期のものといわれ、丹波名庭の一つで、府の文化財に指定されており、静寂のなか佗、寂を感じることができます。


1.アクセス

大阪市内からの場合、阪神高速11号池田線を使い名神高速道路に入ります。大山崎インターチェンジ京都縦貫自動車道に入り、篠本線料金所で出ます。国道423号、府道407号で穴太寺の駐車場に到着します。
名神高速道路での注意事項としては、天王山トンネル手前から左ルートへ入らないと大崎山インターチェンジを出れません。


1)駐車場

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2)境内図

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2.縁起

この寺は慶雲年間(704~708年)に大伴古麿によって開創されたと伝えられており、当初の本尊は薬師如来だったといいます。
応和2年(962年)、当地曽我部郷の郡司、宇治宮成が京都の仏師感世に聖観世音菩薩像の制作を依頼、造立したと伝えられていますが、観世音菩薩像の造立は寛弘7年(1010年)であるという説もあります。
聖観世音菩薩像完成後、宮成が感世に礼(礼物は馬であったともいわれています)を渡しましたが、宮成はその礼物を渡すのが惜しくなり、京都に帰る仏師を待ち伏せして矢を射ました。翌日、仏師感世が生きているのを知り、自分の放った矢が観世音菩薩像の胸に突き刺さっているのを見た宇治宮成は、自分の行いを悔い、仏門に入りその観世音菩薩像を本尊として祀りました。


3.みどころ

1)涅槃像

「本堂」内の右脇壇に、横たわった等身大の釈迦如来大涅槃像(下のコピー:穴太寺発行の参拝案内パンフレットより)が祀られています。この涅槃像は明治29年(1896年)に本堂の屋根裏で発見されました。涅槃像を堂内に祀ると当時の住職と孫娘の病気が平癒したことにより、諸病厄除けの「なで仏」として多くの人に撫でられてきたようです。「なで仏」に類するような霊験のある仏像は「びんずる」という名で多くの寺に見ることが出来ますが、ここの「なで仏」は特別なのでしょう。寺の人は「ご利益がありますよ。お詣り下さい」と勧めてくれます。
この涅槃像は十数年前までは写真撮影が可能であったが、現在では本堂内に移され撮影禁止になっています。

 

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2)穴太寺庭園

本坊前の詩情あふれる庭園です。江戸時代中期の庭園で、石組、池、丸刈りの植栽、樹木で構成されています。京都府指定名勝となっています。

 

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3.四方山話

「本堂」内陣の厨子の中には本尊の薬師如来と札所本尊の聖観世音菩薩が安置されています。本尊には本来の本尊と札所本尊の二尊があって、札所本尊聖観世音菩薩は縁起で言われている平安時代の本尊とは異なるようで、胸に矢の傷あとがつけられた模刻の仏像であるといいます。本尊の薬師如来は厳重な秘仏であり開帳されたことはないとされ、札所本尊聖観世音菩薩も秘仏ではありますが、33年ごとに開帳されるようです。いずれにしても両本尊共に直接の拝観は出来ません。

 

 

 

 

 

第二十番 善峰寺

観音堂(本堂)

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善峯寺は観音信仰の他にも、薬師如来、釈迦如来の信仰が有名です。 薬師如来は徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院出生の由緒により、玉の輿へと導いた「出世薬師如来」と崇められ、「開運出世」の信仰を集めています。
釈迦如来は明治時代の遷座霊験より、腰痛神経痛など「当病悉除」の信仰を受けて、平成7年阪神淡路大震災の霊験では「息災安穏」の信仰が広まり、その護符は「おちないお守り」として親しまれています。

 

1.アクセス

京都縦貫自動車道大原野ICまたは沓掛ICから約20分

 

1)駐車場

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2)境内図

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2.縁起

比叡山の僧源算が長元2年(1029年)にこの地に小堂を建て、十一面千手観世音菩薩像を刻み本尊としたのが当寺の開創、源算47歳の時と伝えられています。
長元7年(1034年)に後一条天皇から善峯寺の寺号を賜り、鎮護国家の勅願所と定められました。以後、天皇の崇敬篤く、長久3年(1042年)には後朱雀天皇が鷲尾寺の十一面千手観世音菩薩像をここに移し、本尊として祀り、先の観世音菩薩像を脇立とされたといわれています。
鎌倉時代には慈円大僧正や浄土宗西山派の祖、証空上人が、また、青蓮院の宮様が代々当寺の住職をされたので西山宮門跡と称されたといいます。
白河天皇が諸堂を建設し、後に、後花園天皇が伽藍を改築、大いに栄えましたが、応仁の乱により、これら全てを焼失したようです。その後、元禄年間に徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院の寄進により寺は復興したとされています。

 

3.みどころ

1)仁王門

かなり急勾配の石段の参道を上がると、大きな「山門(仁王門)」(左の写真)が眼前に現れます。山門前の広場は「山門」の大きさに比べ狭小であり、通常のカメラで「山門」の全体像を捉えるのは困難になります。

「山門」の大きさに若干驚かされますが、それよりも見た感じ非常に複雑な造りであり、これが特異な感じを醸し出しています。

現存の山門は元禄5年(1692年)桂昌院によって再建されたものといわれ、山門両脇の金剛力士像は運慶の作といわれます。

 

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2)遊龍の松

天然記念物の「遊龍の松」は樹齢600年の五葉松で、境内多宝塔と経堂の前に広がっています。日本一の松と云われ、幹が左右に長く伸び、龍のように見えます。この遊龍の松は、高さはわずか2~3mですが、左右に伸びた幹は37m以上にもなっています。一番長い時は全長54mありましたが平成6年の時に松くい虫のため15mカットされたようです。昔から有名で、大田垣蓮月が「世々を経て光いやます善峯のその玉松のむかしをぞ思ふ」とよんでいる。国の天然記念物に指定されています。

善峰寺は別名「松の寺」と言われているのは、この遊龍の松によっていて、善峰寺を有名にしている要因の一つは遊龍の松にあると言えるようです。

 

遊龍の松

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3)庭園

境内3万坪の回遊式庭園は、大正から昭和初期にかけて著名な庭師、七代目小川治兵衛が基礎を築き、その後も随時整備がなされました。
現在は桜と紅葉の名所としても知られ、春にはつつじや牡丹、夏には紫陽花など、境内は四季折々の花や樹木に彩られます。また境内の随所から、京都市街を一望できる雄大な眺望が楽しめます。

 

4.四方山話

京都市街から近いせいか、平日の午後というのに結構な賑わいで、客待ちのタクシーが数台ありました。
四国八十八ヶ所お遍路にせよ、西国三十三所巡礼の約半分を消化しても、ウイークデイにお参りしているせいか客待ちのタクシーはほとんど見たことがありませんでした。
それだけ、一般的に観るべき名刹ということになるんでしょうね。

 

まとめ

西国三十三所巡礼最北端の2寺が目標ではありましたが、復路の途上にあった2寺を加えて、駆け足ではありましたが、4寺のお参りという結果になりました。
ちなみに、今回の所要時間は行き帰りの行程を除けば、9時入りの15時出となりました。最初の成相寺に8時に入り、最後の善峰寺に17時まで滞在するとすれば、も少しゆっくりお参りできることでしょう。