『西国三十三所』車で巡礼、古希まじかCOPDオジサンの旅!【紀行遍6・八、九、番外】

西国三十三所巡礼も折り返し点を迎え佳境に入ってきましたが、今回は諸般の事情で半日の行程しか取れず、奈良県の残り2寺と1番外札所をお参りすることになりました。

目次

 


番外 法起院

山門

f:id:mattyanp2016:20210308103728j:plain

 

長谷寺の門前通りにあります。西国三十三所の番外霊場であり、西国三十三所を草創した徳道上人が晩年を過ごし、御廟所でもあります。師である道明上人と共に長谷寺を開創した人でもあります。したがって、長谷寺の塔堂の一つと呼んで差し支えないでしょう。 長谷寺を開基したお方の廟所らしく、門と堂は北(長谷寺のある方向)を向いています。


1.アクセス

所在地 奈良県桜井市初瀬776
連絡先 0744-47-8032

拝観・納経時間 3月20日~11月30日 8:30~17:00
        12月1日~3月19日 9:00~16:30 

西名阪自動車道「天理IC」から約25キロ、国道165号線から門前町に入り、これを道なりに進む。法起院長谷寺に向かう細まった門前町筋の右側やや奥まった場所にあります。


1)駐車場

隣接して6台の無料の駐車場があります。
御朱印を頂くときに長谷寺へのお参りの間の駐車をお伺いすると快諾されましたが、何分冬の平日なのでハイシーズンの様子は解りません。

 

f:id:mattyanp2016:20210308104316j:plain

 

周辺のあちこちに施設の駐車場がありますので最盛期は結構な人出になるものと思われます。


2.縁起

御本尊 徳道上人像  創建 天平7年(735年)

法起院は、長谷寺を開いた徳道上人が晩年隠棲した寺で、天平7年(735年)の創建と伝えられています。
徳道上人にまつわる伝説があって養老2年(718年)、徳道上人が病に倒れ冥土に行きましたが、閻魔大王から『あなたは死んではいけない。世に三十三の観音霊場があり、これを巡礼すると清められ、苦しみ悩みから救われる。まだ誰もこの霊場のことを知らないので、人々に知らせて広めよ』と教えられ、宝印を授けられてこの世に戻されました。
徳道上人は三十三の観音霊場をめぐり、人々に霊験を説いてまわったが信じてもらえませんでした。落胆した上人は閻魔大王から授かった宝印を中山寺に埋めてしまいました。この宝印は約270年後に花山法皇によって掘り出されるまで眠り続けました。これが徳道上人にまつわる伝説です。
当寺は元禄8年(1695年)に長谷寺の英岳僧正によって再建され現在に至っています。


3.みどころ

1)本堂

f:id:mattyanp2016:20210308104042j:plain

法起院の規模は小さく、従って、「本堂」も小ぶりです。本尊は徳道上人像であり、像は徳道上人が自ら造ったものといわれています。

「本堂」は北向きに建っていて、普通本堂は、南向きか又は東向きに建てられており、北向きは珍しく、これは北側にある長谷寺の方向に向けて意識的に建てられたものでしょうか。法起院長谷寺塔頭であり密接な関係にあり、本堂に吊り下げられている灯籠も長谷形です。


2)御廟十三重石塔

f:id:mattyanp2016:20210308104418j:plain

本堂の左手奥に徳道上人の供養塔である「御廟十三重石塔」が建てられています。
徳道上人は当時としてはずいぶん長生きで、80歳まで生きたと言い、徳道上人は天平7年(735年)80歳のとき、当院の松の木に登り法起菩薩に化身しこの世を去ったといわれていて、この年が法起院の創建年とされています。


4.四方山話

冥土からの生還、閻魔大王の命による三十三ヶ所霊場の開設、法起菩薩への化身など、徳道上人の身上は伝説に満ちており、それだけに詳しいことはわかっていない人物らしく、上人は大陸からの渡来人ではないか、伝説の人、法道仙人と同一人ではないか、など、諸説があります。 

 

8番 長谷寺

大伽藍

f:id:mattyanp2016:20210308104556j:plain

隠国(こもりく)の初瀬と記紀万葉に謳われた地に創建された、巨大な伽羅と十一面観音が鎮座する山寺。四季折々の花が咲くことから「花の御寺」とも呼ばれています。


1.アクセス

所在地 奈良県桜井市初瀬731-1
連絡先 0744-47-7001

拝観時間 (4月〜9月)8:30〜17:00, (10月〜3月)9:00〜16:30
      ただし「ぼたんまつり」期間中延長有り
納経時間  同上

前項、番外法起院ほぼ同じで、西名阪自動車道「天理IC」から約25キロ、国道165号線から門前町に入り、これを道なりに進み、法起院を過ぎて細まった門前町の先になります。


1)駐車場

隣接して、7・80台規模の駐車場があります。周辺には大小いくつも施設の駐車場がありますが、境内駐車場を含め一律500円のようです。


2)境内図

f:id:mattyanp2016:20210308105055j:plain


2.縁起

御本尊 十一面観世音菩薩 創建 朱鳥元年(686年)

天武朝の朱鳥元年(686年)、僧の道明が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺と呼ばれている場所)に三重塔を建立、続いて神亀4年(727年)、僧の徳道が東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀って開山したと言います。

10世紀以降には長谷寺は観音信仰の霊場として貴族の間で地位を確立し、後に、庶民の間にも広まりました。12世紀に園城寺の修験僧によって始められた西国巡礼で長谷寺は当初から霊場に加えられていたといわれています。


現存の本堂は、徳川家光の寄進を得て、正保2年(1645年)から工事に取り掛かり、5年後の慶安3年(1650年)に落慶したもので、同年6月に記された棟札によると、大工中井大和守を中心とする大工集団による施工でした。


3.みどころ

1)本堂

f:id:mattyanp2016:20210308105727j:plain

 

「本堂」は木造建築物としては東大寺の大仏殿に次ぐ大きさといわれていますが、長谷寺全体の規模が大きい関係からか、見た目にはそんなに大きな感じをうけません。
長谷寺は創建以来、何回も火災に遭っているようで、現存の「本堂」は慶安3年(1650年)に再建されたものとされています。
左は「本堂」を南西側から見た写真である。「本堂」は写真左側に見える正堂と、写真右側に見える礼堂が密着しており、いわゆる双堂(ならびどう)形式になっているのがわかります。その礼堂の前半部分は床下に柱を組み、崖面に迫り出した懸造とし、前方に舞台を張り出しています。

2)舞台

f:id:mattyanp2016:20210308105554j:plain

長谷寺は山に囲まれています。古来の「山そのものが神」という信仰から考えると、神々に囲まれたお寺ともいえるでしょう。長谷寺の舞台は、御神体である山々に礼拝するために生まれた、といわれています。

時代が進み、参拝者が増えるのにともない、舞台そのものは大きくなっていったそうです。現在の外舞台は、奥行き約8.67m、幅約12.75m。古い絵図からも、外舞台で人々がお参りをしている様子が伺えます。

「本堂」は以前重要文化財に指定されていましたが、平成16年12月から国宝に変りました。

 


3)本尊

f:id:mattyanp2016:20210308105324j:plain

本尊は木造十一面観音立像で、この本尊像については、神亀年間(724年 - 729年)、近隣の初瀬川に流れ着いた巨大な神木が大いなる祟りを呼び、恐怖した村人の懇願を受けて開祖徳道が祟りの根源である神木を観音菩薩像に作り替え、これを近くの初瀬山に祀ったという長谷寺開山の伝承があります。
伝承の真偽はともかく、当初像は「神木」等、何らかのいわれのある木材を用いて刻まれたものと思われます。現在の本尊像は天文7年(1538年)の再興。仏像彫刻衰退期の室町時代の作品ですが、10メートルを超える巨像を破綻なくまとめています。
国宝・重要文化財指定の木造彫刻の中では最大のもので、本像は通常の十一面観音像と異なり、右手には数珠とともに、地蔵菩薩の持つような錫杖を持ち、方形の磐石の上に立つ姿で、左手には通常の十一面観音像と同じく水瓶を持っています。
伝承によれば、これは地蔵菩薩と同じく、自ら人間界に下りて衆生を救済して行脚する姿を表したものとされ、他の宗派(真言宗他派も含む)には見られない独特の形式です。この種の錫杖を持った十一面観音を「長谷寺式十一面観音(長谷型観音)」と呼称しています。


3)登廊

f:id:mattyanp2016:20210308105934j:plain

仁王門から本堂までの間に399段の屋根付回廊形式の「登廊」がつけられています。「登廊」は三つに分かれており、二ヶ所に折れ曲がりの場所があります。「登廊」の傾斜は急ではありませんが、段数が多いため足の不自由な年配の人にとっては一寸厳しいかもしれません。

「登廊」は長暦3年(1039年)に建造されたと伝えられていますが、たびたびの火災に遭っており、現存のものは明治22年(1889年)に再建されたものといわれています。登廊の天井から長谷型灯籠が下がっており、独特の雰囲気を造り出しています。


4.四方山話

本堂の国宝を初めとし、仁王門、登廊5棟(下登廊、繋屋、中登廊、蔵王堂、上登廊)、三百余社、鐘楼、繋廊が重要文化財に指定されています。
また、初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬から5月上旬は150種類以上、7,000株といわれる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されています。
ここもゆっくり今一度お参りしたいお寺の筆頭となります。

 

9番 興福寺 南円堂

 

f:id:mattyanp2016:20210308142252j:plain

1.アクセス

所在地 奈良市登大路町48
連絡先  0742-24-4920 (南円堂納経所)

拝観時間 南円堂内陣は非公開。国宝館・東金堂は 9:00〜17:00
納経時間 9:00〜17:00


1)駐車場

興福寺国宝館の駐車場が1回1000円で使えます。
奈良県庁の駐車場が十数分離れていますが、平日なら2時間無料で、お参りと御朱印だけなら途中で五重塔を仰ぎ、鹿とも戯れる余裕もあります。


2)興福寺境内図

f:id:mattyanp2016:20210308142559j:plain



2.縁起

御本尊 不空羂索観世音菩薩像 創建 弘仁4年(813年)

藤原氏の氏寺である興福寺はもとは飛鳥にありましたが、和銅3年(710年)に現在の地に移ってきたとされています。「南円堂」はその約100年後、弘仁4年(813年)に興福寺の一堂として、藤原冬嗣が父、内麻呂の供養と一族の繁栄を願い建立したといわれています。
堂を建てるに際し、白銀の観音像千体を埋めて地鎮としたと伝えられていますが、興福寺は何回もの火災に遭っているようで、特に治承4年(1180年)の平重衡による兵火では南円堂の本尊も焼失したといい、また、享保2年(1717年)の大火直後は復興する力もなく建物不在でありましたが、寛政9年(1797年)に再建されたといわれており、これが現存の南円堂であるとされています。


3.みどころ

堂は西国三十三所の九番札所として参詣人が絶えませんが、堂の扉は常時閉ざされており、開扉は10月17日の大般若経転読会という行事の日のみになります。
堂内には本尊である不空羂索観音坐像のほか、四天王立像と法相六祖像を安置しています。
堂の前に生える「南円堂藤」は南都八景の一つで、毎年、美しい花を咲かせています。

 

f:id:mattyanp2016:20210308143323j:plain



まとめ

長谷寺興福寺名刹中の名刹です。幸か不幸か、青年時代まで奈良で過ごした者とすれば壷阪寺、岡寺とともに、小学校の遠足でも行くくらいの身近なお寺でした。身近なるがゆえに、成り立ちや詳細も知らずに、何とはなしに誇り高くもありました。
この度の様に、巡礼という形でお参りするとまた違った感慨も沸いてきました。