映画『翼よ!あれが巴里の灯だ』ビリー・ワイルダーが友人リンドバーグを描いた伝記映画です!!

 

この映画『翼よ! あれが巴里の灯だ(The Spirit of St. Louis)』は、1957年の、ビリー・ワイルダー監督、ジェームズ・ステュアート主演によるチャールズ・リンドバーグの伝記映画です。
脚本はチャールズ・レデラーウェンデル・メイズおよびビリー・ワイルダーで、1954年にピューリッツァー賞を獲得した、リンドバーグの著作『The Spirit of St. Louis』を原作としています。

目次

 

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1.制作

映画はリンドバーグのライアンNYP単葉機「スピリットオブセントルイス」号による歴史的な大西洋横断飛行を、1927年5月20日のニューヨーク、ルーズベルト飛行場の離陸から、5月21日にパリのル・ブルジェ空港に着陸するまで描いています。

大西洋横断飛行を忠実に再現するために、ヨーロッパやスタジオなど各所での撮影用としてスピリットオブセントルイス号の複製が3機製作されました。そのうち2機はまだ飛行可能な状態で、1機はミシガン州ディアボーンヘンリー・フォード博物館に展示されており、もう1機はウィスコンシン州オシュコシュのEAAエアベンチャー博物館にあります。
映画の撮影は、現在はアラン・ハンコックカレッジの敷地になっている、カリフォルニア州サンタマリアにあったサンタマリア・パブリック空港で行われました。

 

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2.ストーリー

1)プロローグ

1927年5月、アメリカ・ニューヨーク州ガーデンシティ。若き飛行士チャールズ・リンドバーグジェームズ・スチュワート)は前人未踏の太西洋無着陸横断飛行に挑もうとしていました。

しかし、ホテルの部屋にこもったリンドバーグは中々寝付けず、協力者の「ライアン航空会社」社長ベンジャミン・フランク・マホーニー(バートレット・ロビンソン)から心配されてもどうしても眠れませんでした。リンドバーグはこれから旅を共にする単発機「スピリット・オブ・セントルイス号」のことを想いながら、これまでの辿ってきた苦難の道のりを振り返っていました。

 

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2)オルティーグ賞の啓示

1926年、当時無名だったリンドバーグは郵便飛行士として各地を駆け回っていましたが、悪天候に見舞われて愛機を失ってしまいました。やむなく列車で目的地に向かうことにしたリンドバーグは、車内で出会ったセールスマンのO・W・シュルツ(チャールズ・ワッツ)からある情報を入手しました。

それは、ニューヨークとパリの間の大西洋を無着陸での横断飛行に成功すれば賞金2万5千ドルの賞金がもらえる“オルティーグ賞”のことでした。


3)飛行機の調達

オルティーグ賞に挑戦する意思を固めたリンドバーグは、早速セントルイスの商工会議所や街の投資家らを募り、飛行機購入資金1万5千ドルを調達することに成功しました。リンドバーグは単発単葉機ベランカ機を購入するためニューヨークの「コロンビア航空会社」との交渉に臨みましたが、リンドバーグが無名であることを理由に購入を断られてしまいました。

1927年3月。失意のリンドバーグは購入資金を投資家たちに返上しようかとも考えましたが、後援者の後押しでカリフォルニア州サンディエゴの小さな航空会社「ライアン航空会社」を紹介されました。社長のマホーニーと設計技師のドナルド・A・ホール(アーサー・スペース)はリンドバーグの申し出を快く引き受け、当初完成まで90日かかるとされていた飛行機を何と63日で完成させました。時に1927年4月28日のことでした。


4)墜落事故

当時はアメリカ側やフランス側の飛行家たちが続々と太平洋無着陸飛行への参戦準備を進めており、リンドバーグとしては何としてもライバルに先を越されるわけにはいかなかったのです。
折しもパリを飛び立ったフランス側の飛行家が乗機の墜落事故で命を落とし、投資家たちの間には不安がよぎりましたが、リンドバーグは決して諦めることはありませんでした。


5)出発前

1927年5月20日。遂にリンドバーグが太平洋無着陸飛行に飛び立つ日が訪れました。リンドバーグは軽量化のためにパラシュートなどの装備すらも搭載せず、天井に取り付けた磁気コンパスを見るための鏡探しにも苦慮しましたが、たまたま見物に来ていた少女(パトリシア・スミス)から丁度よい手鏡をもらい受けました。リンドバーグはお礼として少女を機内に座らせ、各部の説明をしてあげました。

出発地のニューヨーク・ルースベルト飛行場は悪天候に見舞われており、マホーニーは飛行延期を提案しましたが、ライバルに負けるわけにはいかないリンドバーグは出発を強行することにし、マホーニーはリンドバーグが軽量化のため持っていかないことにしていた、かつてリンドバーグが飛行教官だった頃の生徒だったハスマン神父(マーク・コネリー)からもらったお守りをこっそりと荷物の中に入れておきました。


6)離陸

そして午前7時52分、リンドバーグは結局一睡もできないままルーズベルト飛行場から離陸、眠気と闘いながらも順調な飛行を続けました。飛行中、リンドバーグは自分がバイクから飛行機に乗り換えた日のこと、飛行仲間のハーラン・“バド”・ガーニー(マーレイ・ハミルトン)と曲技飛行団で旅回りをしていた時のことなどを思い出していました。

 

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やがてセントルイス号はアメリカ大陸を離れて大西洋上に出ましたが、氷河上空に差し掛かった時に突然機体に氷が付着し始め、リンドバーグは機体の高度を下げて何とか氷を引き剥がすことに成功しました。やがて夜になり、コンパスの異常に気づいたリンドバーグは星を頼りに何とか飛行を続けましたが、遂に睡魔に負けて眠ってしまい、予定の飛行コースを外れてしまいました。セントルイス号は高度を下げ始め、リンドバーグは少女から譲り受けた鏡が顔を照らしてくれたおかげで命拾いをしました。

 

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7)パリへ

1927年5月21日。離陸から28時間が経過、リンドバーグはようやくアイルランドのディングル湾に差し掛かりました。リンドバーグは最後の力を振り絞ってイギリスのプリマス上空を通過、そのままイギリス海峡を飛び越えました。食事を採ろうとしたリンドバーグは、マホーニーが密かにサンドイッチの袋に忍ばせていたハスマン神父のお守りに気づきました。

 

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フランスのシェルブール上空に差し掛かったリンドバーグはいよいよ目的地のパリまであと1時間の距離に迫りましたが、操作を誤って危うくエンジンを停止しかけてしまいます。それでも危機を脱したリンドバーグは遂にパリ上空に辿り着き、凱旋門エッフェル塔などを間近に見ながら到着地のル・ブルジェ飛行場を目指しました。


8)エピローグ

着陸の瞬間、決して信心深いとはいえないリンドバーグでしたが、ハスマン神父のお守りに祈りを込めました。そして離陸から33時間39分20秒、リンドバーグは遂に史上初の無着陸での大西洋横断飛行を成功させ、出迎えた20万人のパリっ子の大歓迎を受けました。そしてリンドバーグは国民的英雄としてニューヨークに凱旋帰国、熱狂する400万人の人々に迎えられました。

 

3.四方山話

1)大西洋単独無着陸飛行

1927年5月20日5時52分(出発時の現地時刻)、リンドバーグはスピリットオブセントルイス号(ライアンNYP)で、ニューヨーク・ロングアイランドのぬかるんだルーズベルト飛行場の滑走路を離陸しました。1700リットルのガソリンとサンドイッチ4つと水筒2本分の水を積んでいました。

5月21日22時21分(到着時の現地時刻)、パリのル・ブルジェ空港に着陸、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功しました。飛行距離は5,810kmで飛行時間は33時間半でした。

この時、リンドバーグは25歳でした。これによりリンドバーグは、ニューヨーク-パリ間を無着陸で飛んだ者に与えられるオルティーグ賞とその賞金25,000ドル、さらに世界的な名声を得たのでした。


2)最初の言葉

パリ上空で「翼よ、あれがパリの灯だ!」と叫んだとされますが、この台詞は後世の脚色であり、リンドバーグはその時自分がパリに着いたことも分らなかったそうで、実際に発した最初の言葉としては、「誰か英語を話せる人はいませんか?「ここはパリですか?」であるという説と、「トイレはどこですか?」であるという説の2つがあります。いずれにせよ、「翼よ、あれがパリの灯だ!」の出典はは自伝 "The Spirit of St. Louis"の和訳題であり、日本語では広く知られていますが、英語圏ではこれに対応するよく知られた台詞は存在していません。


3)スピリットオブセントルイス

スピリットオブセントルイス号は、リンドバーグの指示の下に特別にカスタマイズされた機体でした。多量の燃料(ガソリン)を積むべく操縦席の前方に燃料タンクを設置したため、座席からは直接前方が見えず、潜望鏡のようなものを使うか、機体側面の窓から顔を出す必要がありました。
当時、無名の操縦士だったリンドバーグには出資者が少なかったため、他のオルティーグ賞挑戦者のように大型の機材を用意できず、また機材そのものもリンドバーグが望んだベランカ社製品より性能の低いものにせざるを得なかったことから、前方視界を犠牲にして燃料の搭載量を増やすことで対処したのです。

 

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4.まとめ

ワイルダーらしからぬ作品と評されたりしますが、細かいコメディや伏線を張り巡られた完成度の高い脚本はやっぱりワイルダーで、特にリンドバーグがライアン社を訪ねるシーンの社長が飛行機の外装をフライパン代わりにして砂カレイ焼いてたり、完成した機体に開発スタッフがサインしていく中で横にいた犬も肉球でサインさせるところとかのさりげない笑いがワイルダーらしいのです。