映画『戦場』地味ながら今となっては、歴史を描いた名作です!!


この映画『戦場(Battleground)』は、監督はウィリアム・A・ウェルマン、出演はヴァン・ジョンソンとジェームズ・ホイットモアなどで、1949年のアメリカ合衆国の戦争映画です。

目次

 

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1.紹介

第二次大戦末期、劣勢のドイツ軍が反撃に転じた”バルジの戦い”で、包囲されながらそれに耐えたアメリカ陸軍・第101空挺師団の過酷な戦いを描く戦争ドラマです。

実際の戦いから数年しか経っていない人々の記憶に新しい時期に撮影された作品であり、第101空挺師団の指揮官だった、アンソニー・マコーリフが、ドイツ軍の降伏勧告に対し、「Nuts!」という言葉と共にそれを拒絶した有名なシーンも登場あります。

第22回アカデミー賞(1949年)で、脚本賞ロバート・ピロッシュ)と、撮影賞(ポール・C・ヴォーゲル)が受賞し、監督賞(ウィリアム・A・ウェルマン助演男優賞(ジェームズ・ホイットモア)、編集賞(ジョン・D・ダニング)がノミネートされました。


2.ストーリー

1)プロローグ

第二次世界大戦末期の1944年12月、フランス、アメリカ陸軍基地に駐留する第101空挺師団のキニー二等軍曹(ジェームズ・ホイットモア)は、小隊の訓練を続けていました。

ジム・レイトン二等兵(マーシャル・トンプソン)とウィリアム・J・フーパ二等兵(スコッティ・ベケット)は、第372歩兵連隊から第101空挺師団に配属され、それぞれの小隊に向かいました。


2)バストーニュへ

ある日、キニー率いる部隊はベルギーへの移動命令を受けました。帰国を心待ちにしていたホリー(ヴァン・ジョンソン)たちは戸惑いながらもトラックに揺られて移動することとなりました。

 

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途中の町ベルギー・バストーニュに到着したキニーの部隊は子供からお菓子をせがまれ、戦争孤児となった子供たちの面倒を見ている女性デニース(デニーズ・ダルセル)の厚意で屋内で暖を取ることになりました。

その時、上空のドイツ軍機から「第101空挺師団を歓迎する」というビラがばらまかれ、ジャーヴェス(ジョン・ホディアク)は自分たちは極秘任務だったにも関わらず敵に作戦がバレてしまっていることに気付きました。


3)バストーニュの戦い

キニーの部隊は霧が晴れるまでバストーニュに滞在することにしましたが、別の部隊の情報でドイツ軍の侵攻が始まったことを知って移動することにしました。

翌日、キニーの隊は霧の立ち込める森の中に布陣し、ティース少尉(ブレット・キング)率いる第3小隊が偵察することになりました。町の鳥小屋で卵を手に入れていたホリーはヘルメットをフライパン代わりにして焼こうとしましたが、状況が目まぐるしく変わるので中々調理することができませんでした。

 

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ホリー、レイトン、キップ(ダグラス・フォーリー)はアメリカ兵に扮した敵兵に気を付けろと言われて道路封鎖の見張りに就きましたが、まんまと敵兵の侵入を許してしまいました。

一方、ホリーから卵を預かったベティス(リチャード・ジャッケル)は体調を崩したスタンディファード(ドン・テイラー)を気遣っていました。

翌朝、森には雪が降り始めました。敵兵は橋を爆破しており、キニーの隊らは敵の砲撃を受け、フーパー(スコッティ・ベケット)が戦死してしまいました。

やがて本格的に敵の攻撃が始まり、ホリーは敵兵の正体に気付いて反撃しましたが、ロドリゲス(リカルド・モンタルバン)は銃撃を受けて負傷し、後に戦死してしまいました。

負傷したウォロヴィッツ(ブルース・カウリング)はスタンディファードらと共に野戦病院に運ばれましたが、後になって、ホリーはキニーから野戦病院までもが敵の手に落ちて、ウォロヴィッツやスタンディファードも命を落としたようだと聞かされました。

 

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4)降伏勧告

後に「バルジの戦い」と呼ばれることとなるドイツ軍の反攻作戦は当初はドイツ軍の優勢に進み、アメリカ軍は苦戦を強いられました。森に潜んだキニーの隊は敵兵を捕らえて捕虜にし、負傷したハンセン(ハーバート・アンダーソン)らを町の病院に運んだホリーらは久しぶりに温かい食事を与えられました。

程なくして、ドイツ軍の将校が現れ、アメリカ軍の指揮官に対して降伏を勧告してきましたが、アメリカ軍側は断固として拒絶しました。

 

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従軍牧師(レオン・エイムズ)は隊員たちを前に「この戦争は必要だったか?」という問いに答え、ナチス・ドイツのせいで何百万人もの命が奪われたがために選択肢はなかったと語り、悪天候が回復することを願い兵士たちと共に祈りを捧げました。

しかし、その後も天候は回復する兆しすらなく、アメリカ軍の弾薬や燃料、物資も底を尽きようとしていました。そしてバストーニュも攻撃されてベティスが戦死、森に潜むキニーの隊らは白兵戦を覚悟しました。


5)反攻開始

その時、雲の切れ目から太陽の光が差し、ようやく天候が回復してきました。これと共に大量の物資を積んだアメリカ軍の輸送機が飛来、大量の燃料や食料、弾薬を確保した隊員は一転して反撃に出ました。

キニーの隊もハンセンが復帰、一転して連戦連勝の戦果を挙げていきました。そしてアメリカ軍は重武装の機甲部隊を投入、アメリカ軍を含めた連合軍は「バルジの戦い」に勝利を収めました。


6)エピローグ

ティース少尉は指揮官と共にジープに乗って走り去り、小隊を整列させたキニーは前線には向かわずにバストーニュに戻ることにしました。

仲間たちの喜ぶ姿を見たキニーは微笑みを浮かべ、前線に向かう部隊とすれ違いながら隊列を整えて行進していきました。

 

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3.四方山話

 1)バルジの戦い

1944年12月16日、連合軍の重要な兵站基地であったアントワープ占領を目標として、ドイツ軍の3個軍がアルデンヌ地方においてアメリカ軍に攻撃をかけました。

アメリカ軍はアルデンヌでのドイツ軍の攻撃を予期しなかったため、アルデンヌには実戦経験が皆無か、以前の戦闘で消耗していた師団ばかりが配置されていたのです。

その上悪天候により航空支援も受けられず、緒戦では多くの戦線でドイツ軍の突破を許しました。しかしながらドイツ軍の補給線が伸びて行く一方で、アメリカ軍は増援部隊の到着により防衛線を着々と固めていきました。

12月25日には最大でもミューズ川手前でドイツ軍の攻勢は阻止され、戦線は「バルジ」(突出部の意)を形成していました。

翌年の1945年にはアメリカ軍による「バルジ」への反撃が開始され、ドイツ軍の作戦は失敗し、ドイツ軍は貴重な戦力や物資を余計に消耗することとなりました。


2)監督ウィリアム・A・ウェルマン

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1896年2月29日生 - 1975年12月9日没、アメリカ合衆国マサチューセッツ州出身の映画監督です。

第一次世界大戦中、フランス外人部隊に参加し、フランスでラファイエット空軍に属してエース・パイロットとして活躍しました。

プロ・ホッケー選手として活躍する姿をダグラス・フェアバンクスに注目されたことが映画界入りのきっかけとなりました。1920年にMGMの前身ゴールドウィン社に入社し、俳優や裏方仕事を経て1923年の『男の中の男』が初監督作品です。

1927年に第一次世界大戦中に活躍するパイロットを描いた『つばさ』の監督に抜擢され、自身の経験を生かしたこの作品は第一回アカデミー作品賞を受賞しました。

『つばさ』のような航空映画だけでなく、『民衆の敵』をはじめとするギャング映画など、その活動範囲は多岐にわたります。

戦間期に多くの作品を作り、当時の米国の世相を色濃く反映したものになっています。また、作品を通じてスター俳優・女優を育て上げ、戦前のハリウッド映画興隆に大きく貢献しました。

スティーブン・スピルバーグは、彼と全く接触のない世代(最後の作品が発表されたとき5歳なので、同時代観客ですらない)ですが、もっとも好きな監督として名を上げています。

完璧主義から製作会社のパラマウント映画や俳優たちと衝突を繰り返し、何度もクビになりかけたそうです。


3)ジェームズ・ホイットモア

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キニー二等軍曹役、1921年10月1日生 - 2009年2月6日没、アメリカ合衆国の俳優です。

ニューヨーク州ホワイト・プレインズ出身。チョート・ローズマリー・ホールを経てイェール大学に入学、第二次世界大戦中は海兵隊に志願しました。

1948年にブロードウェイの舞台『コマンド・ディシジョン』でトニー賞を受賞。1949年、本作『戦場』で、アカデミー賞助演男優賞ノミメートされ、ゴールデングローブ賞では、助演男優賞を受賞しました。

1975年には映画『Give‘em Hell, Harry!』でハリー・S・トルーマン大統領を演じ、アカデミー主演男優賞とゴールデングローブ賞主演男優賞にノミネートされます。映画・テレビドラマで主にいぶし銀として活躍した。ほかに、『猿の惑星』、『ショーシャンクの空に』出演しています。


4)ヴァン・ジョンソン

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ホリー役、1916年8月25日生 - 2008年12月12日没、アメリカ・ロードアイランド州出身の俳優、歌手、ダンサーです。

1943年の映画『A Guy Named Joe』でブレイクしましたが、この映画の撮影中に交通事故に遭い、大怪我を負いました。この怪我により頭蓋骨に金属板を埋め込むことになり、入隊資格を失います。また顔に負った多くの傷が当時の形成外科手術では完全に治すことができなかったため、以降厚いメイクで隠さざるを得なくなりました。

しかしながら、赤毛でそばかす顔の「隣のおにいちゃん (boy next door)」のような親しみやすいルックスでアイドルスター (matinee idol) として人気を博し、その好青年イメージから「娘を結婚させたい男」と称されました。

1954年にMGMとの契約が終了した後も、様々な映画に出演する一方、舞台で歌手やミュージカル俳優として活動しました。

 

5)「Nuts!」

ドイツ軍の降伏勧告に司令官の返事で、字幕では「バカやろう」としていた"Nuts"という言葉は、睾丸のスラング(俗語)で、「Are you going nuts?(気でも狂ったか)」等、「常軌を逸した言動、行動またそれをする人」を指して使われる。この文脈ではおそらく「ふざけるな」という意味かもしれません。

 


4.まとめ

『プライべート・ライアン』や『ブラックホーク・ダウン』のような近年の名作戦争映画のような視覚的リアリティーは、当然ながらありませんが、戦線離脱の傷病の基準や兵隊の平時の心理状態など、戦後間もなくの制作だけに、その手のリアリティーがありました。そういう意味では残しておくべき映画の一つかも知れません。