『西国三十三所』車で巡礼、古希まじかCOPDオジサンの旅!【紀行遍7・十、十一、十五、番外】

コロナ禍の中、高齢者の特権で、ワクチンの2回接種も完了し、緊急事態宣言も解除されたので、巡礼を再開しました。

まずは、肩慣らしに地元京都府下の札所を廻り、ラストスパートに向けて行きたいと思います。

目次


10番 三室戸寺

本堂

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京都宇治にある三室戸寺(みむろとじ)は、春は桜にツツジ、初夏はシャクナゲあじさい、初秋にはハスと、四季を通じてさまざまな花が咲き誇る”花の寺”として知られています。とくに6月には色とりどりのあじさいが、まるでお花の絨毯を敷き詰めたような美しさです。

 

1.アクセス

所在地 京都府宇治市莵道滋賀谷21
連絡先 0774-21-2067

交通
京阪電車 三室戸下車 徒歩15分

拝観時間 8:30〜16:00 (11/1〜3/31)
     8:30〜16:30 (4/1〜10/31)
納経時間 8:30〜15:30 (11/1〜3/31)
     8:30〜16:00 (4/1〜10/31)

拝観料       500円
アジサイ園開園期間 800円
つつじ園開園期間  800円

 

 ※年末 29、30、31日は休み

1)駐車場 

     有    500円

 

2)境内図

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2.縁起

御本尊 千手観世音菩薩 創建 宝亀元年(770年)

光仁天皇行幸した際、霊感を感じたので藤原犬養に命じ周辺を探させたところ、宇治川の支流である志津川上流の岩淵で黄金の仏像を発見したと伝えられています。

この仏像を安置するため、宝亀元年(770年)に御室の一部を移し、奈良大安寺の行表法師を招き、御室戸寺としたのが寺の起源とされていますが、智証大師円珍の開山という説もあるそうです。

御室戸寺は後に三室戸寺に改称され、創建時は仏像が発見された場所の近くの山中に寺があったとされていますが、度重なる火災に遭い、15世紀に現在の場所に移されました。


3.みどころ

1)本堂

「本堂」は重層入母屋作りの重厚な建物で、文化2年(1805年)に再建されたものといわれており、京都府文化財に指定されています。

「本堂」に安置されている本尊「千手観世音菩薩」は光仁天皇が霊感を得て志津川の岩淵で感得した仏像であるという説もありますが、本尊は秘仏であり、この説の真偽はわかりません。

本堂外陣には多くの奉納額が掲げられていて、何れも時代を感じさせるものばかりです。本堂に安置されている秘仏の本尊は平成21年(2009年)の秋に開帳されたようですが、この開帳は84年目に当たるとされています。いずれにしても本尊は開帳されることが極めて希な秘仏のようです。

 

2)池泉庭園・アジサイ庭園

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五千坪の大庭園は枯山水・池泉・広庭からなり、五月のツツジ(2万株)・六月のアジサイ(1万株)・七月のハス・秋の紅葉など四季を通じて美しい花模様を楽しめます。

 

3)狛兎

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本堂の前、向かって左側(西側)に御影石製の「福徳兎」と名付けられた兎の像(狛兎)が置かれています。
仁徳天皇の弟である菟道稚郎子が宇治に来たときに兎が道案内したとの言い伝えがあり、宇治を本拠にしていたので宇治天皇とも称されていました。三室戸寺のあるこの地は昔から菟道(うじ)と呼ばれており、兎とこの地は縁があるようです。
この狛兎は高さが約1.5mあり、かなり大きなもので、径約60cmの玉を抱いています。玉の中には卵形の石があり、これを立てると願いが叶うといいます。

 

 4)狛牛

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本堂の前、向かって右側(東側)に「宝勝牛」と名付けられた牛の像(狛牛)が置かれています。
牛の口の中には石の玉が入っており、牛の口の中に手を入れ玉を転がし指で仏像に触れると勝ち運がつくといいます。
玉は口の中で自由に動かせられますが、外に取り出すことはできません。
「宝勝牛」は勝運、ガン封じ、病気平癒、金運、健康に効果があるとされ、絵馬に願い書いて奉納すると霊験があるといわれています。


4.四方山話

源氏物語」全五十四帖の最後の十帖は、主に宇治を舞台にしていて、一般に「宇治十帖」 として知られています。
三室戸寺境内の鐘楼脇には、源氏物語宇治十帖「浮舟」の古跡碑(写真下)があります。これは今から250年ほど前
の寛保年間に、こちらにあった「浮舟社」 という古社を石碑に改めたものだそうです。

 

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11番 醍醐寺上醍醐・准胝堂)

総門下醍醐

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醍醐寺(だいごじ)は、京都市伏見区醍醐東大路町にある真言宗醍醐派総本山の寺院です。山号を醍醐山(深雪山とも)と称し、本尊は薬師如来上醍醐の准胝堂(じゅんていどう)が、西国三十三所観音霊場第11番札所です。

京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持ち、国宝や重要文化財を含む約15万点の寺宝を所蔵します。豊臣秀吉による「醍醐の花見」が行われた地としても知られていて、古都京都の文化財として世界遺産に登録されています。


上醍醐寺の本堂に当たる准胝堂は、2008年8月24日未明に全焼しました。この火災は落雷が原因とされているようです。
火災後、上醍醐寺は閉鎖され、上醍醐寺への登山口になっている醍醐寺の女人堂より奥に立ち入ることは出来ない状況でしたが、平成21年(2009年)1月7日より上醍醐への入山が可能になり、参拝が可能になりました。

火災以前、准胝堂で行っていた西国札所の納経は火災後、一時、女人堂で行われていましたが、現在、醍醐寺(下醍醐)の観音堂で行われています。

上醍醐への入山が可能になった現段階でも、納経は上醍醐寺で行われていず、観音堂には焼失した本尊の分身が安置されています。火災以前のように上醍醐寺で納経が出来る時期は未定とのことです。


1.アクセス

所在地 京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
連絡先 075-571-0002

交通
・JR山科駅から地下鉄東西線約8分・醍醐駅2番出口から観音堂まで徒歩約20分。
・JR山科駅六地蔵駅から京阪バス乗車、醍醐寺前下車、観音堂まで徒歩約15分。

 

醍醐寺拝観時間 
 夏期(3月1日~12月第1日曜日)    : 9:00~17:00
 冬期(12月第1日曜日の翌日~2月末日): 9:00~16:30
 ※閉門時間30分前で受付終了、春季期間中は拝観時間の延長有り

上醍醐入山受付時間
 夏期(3月1日~12月第1日曜日)    : 9:00~15:00
 冬期(12月第1日曜日の翌日~2月末日): 9:00~14:00

納経時間 拝観時間同様


拝観料

通常期(春期 3/20~5/GW最終日除く)
拝観券【通常期】 (三宝院庭園・伽藍の二箇所)
 個人 大人 1,000円

春期 3/20~5/GW最終日
拝観券【春期】 (三宝院庭園・伽藍・霊宝館の三箇所)
 個人 大人 1,500円

通期
上醍醐入山料
 個人 大人 600円 ※拝観券持ちの場合は500円
 


1)駐車場

駐車料 普通車 1000円
    バイク・自転車 年中 無料

駐車場入庫可能時間
     9:00~16:45

 ※冬期のみ(12月第1日曜日の翌日~2月末日): 9:00~15:45
 ※他、総門周辺に私設の駐車場があり、700円から止めれます。


2)境内図

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2.縁起

御本尊 准胝観世音菩薩 創建 貞観16年(874年)

弘法大師の孫弟子、理源大師が都の東南の方に五色の雲がたなびいている山を見て、霊地とすべく登ったところ、醍醐山の神、横尾明神の化身である老人が現れました。

老人はそこに湧き出ている水を飲み、『ああ醍醐味なるかな』と言ったといい、これが醍醐寺の名の由来になった伝えられています。

醍醐水を感得した理源大師は貞観16年(874年)に山頂に草庵を造り、柏の木に准胝、如意輪の両観音像を刻み安置したといわれており、これが上醍醐寺の創始とされています。

2年後には准胝堂、如意輪堂が造られ、更に延喜7年(907年)には醍醐天皇勅願寺となり、薬師堂が建立されたと伝えられています。


3.みどころ

1)上醍醐

長らく西国三十三所第11番札所が存在し、西国一険しい札所として知られていました。上り口にはかつて女人結界があったことから女人堂が置かれ、そこから険しい山間に入ります。

平安時代のままに残る国宝の薬師堂、醍醐寺鎮守神である清瀧権現拝殿、准胝堂跡、五大堂などが立ち並びます。

上醍醐には有名な「醍醐水」が今も湧き出ている他、醍醐山山頂(標高450m)には、如意輪堂と開山堂が並びます。山頂から笠取山に向かう途中に奥の院があります。


2)下醍醐

本尊の薬師如来像を安置する金堂、三宝院などを中心に、上醍醐とは対照的に絢爛な大伽藍が広がります。

応仁の乱でほぼ全焼し、その後も焼失と再建を繰り返していますが、五重塔は創建当時のまま現在に残っています。また五重塔内部の壁画も国宝に指定されており、壁画中の空海像は同人の肖像として現存最古のものとなっています。

 

3)女人堂

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参道は、下醍醐寺の最も奥にある「女人堂」からはじまります。かつては、女性が入れるのはここまでで、女性はここから上醍醐寺に向かって参拝したそうです。

女人堂の前には手水場があり、五体の仏像が安置されています。その傍に「御千度石」と刻まれた小さな石碑が建っていて、この石碑と女人堂の間を千回往復すると、山上まで上り上醍醐寺に参拝したのと同じ功徳があるといわれていました。

 


4)醍醐の花見

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女人堂から15分ほど参道を上ったところに、秀吉が慶長3年(1598年)に有名な「醍醐の花見」を催したとされている場所があります。写真は醍醐の花見が行われたとされている場所への入口に当たる所ですが、何故かここから奥への立ち入りは禁止されています。

醍醐の花見は山麓で行われたものと思っていましたが、とんでもなく高いところで催されていたのにいささか驚きますが、秀吉が麓から歩いて登るはずもなく輿にでも乗ったに違いありません。

高いところから見下ろすほうが一望できてよかったのでしょう。

 

4.四方山話

最難所

上醍醐寺西国三十三所霊場の中で、最難所の一つであり、参道は自然石の石段、木の丸太で作られた階段のような場所などなど、雑多であり、九十九折りの場所も多いものの、道幅は思いのほか広いのですが、勾配の大きい場所が諸所にあり、登りは正直言ってかなり厳しいものがあります。

参道途中で人に会うと、互いに挨拶を交わすことが多いものですが、初めて参道を登る人は降りてきた人に『後どのくらいありますか』というようなことを聞く。返答を聞いて参道の途中で引き返す人もいるようです。

 

 

  

15番 今熊野観音寺 (観音寺)

本堂

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泉涌寺の山内にあり、西国三十三所の札所で、ボケ封じ・頭痛封じのご利益があると言われ「頭の観音様」として有名です。ご本尊は一寸八分の観音像を体内仏として彫刻された十一面観世音菩薩です。
境内には、子供の心身健康・学業成就などのご利益があるといわれている子護大師像のあります。
秋には、境内が深紅に染まり、紅葉の名所となります。

 

 1.アクセス

所在地 京都市東山区泉涌寺山内町32
連絡先 075-561-5511

交通
JR・京阪電車東福寺駅より 徒歩15分 徒歩15分

拝観時間 8:00〜17:00
納経時間 8:00〜17:00

拝観料  無料


 ※年末 29、30、31日は休み

1)駐車場 

10台 無料

 

2)境内図

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2.縁起

御本尊 十一面観世音菩薩 創建 天長年間(824~834年)

弘仁年間(825年頃)に弘法大師熊野権現の化身から観音霊地の霊示を受け、嵯峨天皇の勅願により観音像を刻んで本尊とし草堂に安置したのが当寺の創始といわれています。

後白河法皇は本尊を深く信仰し、霊験により持病の頭痛が平癒したので、本寺に「新那智山・今熊野」の名称を与えられ、以来、頭痛、中風、厄除けの観音として繁栄してきたそうです。文暦元年(1234年)に後白河上皇を当寺に葬るなど、歴代朝廷の崇敬をあつめています。

現在、この観音寺は泉涌寺塔頭ですが、応仁の乱以前は泉涌寺をしのぐ大寺でした。

なお、本寺は「観音寺」の名称よりも、一般には「今熊野」や「今熊野観音」の呼び名の方で親しまれています。

 

 

3.みどころ

1)子護大師像

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杉並木の傍の参道を通り抜け境内を奥に進むと、先ず目につくのは「子護大師像」です。像は観音寺の開基である弘法大師の姿であろうと思われます。

「子護大師像」の周りには砂が敷き詰められた場所が設けられており、そこには『南無大師遍照金剛と唱えながら四国八十八箇所のお砂を踏んでお大師様を廻って下さい』と書かれた札が立てられ、何本かの杖が置かれています。

この種の仕掛けは、ピンからキリまで各地の寺院にありまが、巡礼する人は言うまでもなく、寺院の関係者も四国八十八箇所のお遍路に憧れていることの証に思われます。

 

2)本堂

「本堂」は正徳2年(1712年)に宗恕祖元律師によって建立されたものといわれており、寺の規模に比べ二重屋根の堂々とした造りで、かつての大寺の雰囲気を漂わせています。

「本堂」の厨子内に祀られている本尊、十一面観世音菩薩は弘法大師によって彫られたものと伝えられているが、秘仏であり直接拝観することはは出来ません。本尊と同じ姿をしているお前立ちと言われる仏像が厨子の前に立たれているので、それを拝観することになります。

 

3)ぼけ封じ観音

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本堂前の広場の東端に当山を開創した弘法大師を祀っている「大師堂」があり、その入口階段横には「ぼけ封じ観音」が建てられています。「大師堂」では護摩の修法が行われ、修行僧の修行道場として使用されています。

「ぼけ封じ観音」の台座の近には多数の「身代わり石仏」が置かれています。お参りに訪れた人々の多くは、ぼけ封じの願いを込めて「身代わり石仏」を奉納します。
奉納された「身代わり石仏」は本堂で祈祷を受け、この場所に奉安されます。石仏の腹部には『ぼけ封じ』と云う文字に加え奉納者の名前が書かれているものもあって、人々の「ぼけ」への畏怖を感じさせられます。

 

4.四方山話

1)ぼけ封じ

観音寺は「頭の観音」といわれているように、「ぼけ封じ祈願」の寺としてよく知られており、本堂の左手に「ぼけ封じ」のための物品を販売している場所があります。参拝に訪れた年輩者は「ぼけ封じ祈祷済み枕カバー」を買い求めていて、勿論、これを買うだけでぼけないという保証はどこにもないということを理解しているのではありますが、ここで買わないと、呆けが早く来そうな気がするそうです。


2)五智水

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弘法大師がこの地に観音寺を創始したとき、大師が錫杖で岩を突くと、水が湧き出したと伝えられています。これを「五智水」と呼んでおり、今でも涌き続けているいますが、この水源は鐘楼の南側の山際にあって、この水を「本堂」前の広場南側にある井戸で汲めるようにしたのが、写真の「五智水」であり、この水は深き恵みを与えてくれると言われます。

井戸はコンクリートで造られているのはいいとしても、水道の蛇口が付けられていて、蛇口をひねると五智水が出てくるようになっていて、五智水の話は伝説であるとしても、この辺のセンスは如何なものでしょう。

 

 

 

 


番外 元慶寺

山門

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西国霊場の中興の祖、花山天皇は当寺で出家、花山法皇と称しました。寺格も高く多くの寺領で栄えましたが、応仁の乱で罹災しました。いまの建物は安永年間(1772-81)の再建といわれ、花山法皇の宸影が安置されています。

 

1.アクセス

所在地 京都市山科区北花山河原町13
連絡先 075-581-0183

交通
地下鉄東西線「御陵」下車、出口3番より徒歩20分

拝観時間 8:00〜17:00
納経時間 8:00〜17:00

拝観料  無料


 ※年末 29、30、31日は休み

1)駐車場

  2台 無料

かなり狭いですが、3ナンバーでもなんとかなりそうです。 

2.縁起

御本尊 薬師瑠璃光如来 創建 貞観10年(868年)

桓武天皇の孫にあたる遍照は仁明天皇崩御に従い出家し、延暦寺で仏門に入り、貞観11年(869年)に華山寺を創建したとされています。その後、元慶元年(877年)には清和天皇勅願寺となり、崋山寺から元慶寺に名称を変更したと伝えられています。

応仁の乱までは寺域も広かったようですが、応仁の乱で寺が焼失してから、現在みられるような小さい規模の寺になったといわれています。

花山天皇が、寛和2年(986年)19歳のときに出家し花山法皇となったのが、この元慶寺であるとされています。


3.みどころ

1)山門

「山門」は竜宮造りになっており、唐風で珍しい。「山門」には梵天帝釈天が安置されていたようであるが、それらは京都国立博物館に寄託されているとのことです。


4.四方山話

1)百人一首

開基の遍照僧正は六歌仙の一人として知られており、彼の作、

天津風雲の通い路吹きとじよ乙女の姿しばしとどめむ』

百人一首のなかでも特に有名です。


2)菊花紋

「本堂」の扉には菊花紋が付けられています。これは、元慶寺勅願寺であり、花山法皇ゆかりの寺であることによると思われます。

 

 まとめ

約半年のブランクで体力・気力が減退し、予定した分の半分も廻れず、一件一件も淡白な巡礼となり正にスタンプラリーの様を呈してきました。

またすぐ来れるのイメージが、四国のお遍路の様な、今度いつ来れるか、今でないと、の切迫感をなくしてしまったのでしょう。

ま、それはそれとし、反省と次回があればその宿題として綴っていきます。なにせ、高齢者の特権階級ですから。