映画『俺たちに明日はない』これぞアメリカン・ニューウェーブの騎手です!!

この映画『俺たちに明日はない(Bonnie and Clyde)』は、1967年に製作された、監督アーサー・ペン、製作、主演ウォーレン・ビーティ、フェイ・ダナウェイジーン・ハックマン、他の共演によるのアメリカン・ニューシネマの先駆けにして代表作となった傑作です。

目次

 


1.紹介

当時、期待の新星ウォーレン・ビーティと、同年スクリーンデビューを果たしたフェイ・ダナウェイ、そして、下積み生活の長かったジーン・ハックマンが才能を評価され、彼らの出世作となった作品でもあります。

本作はアカデミー助演女優賞エステル・パーソンズ)と最優秀撮影賞を受賞し、作品賞、監督賞、主演男優賞(ウォーレン・ベイティ)、主演女優賞(フェイ・ダナウェイ)、助演男優賞ジーン・ハックマン)(マイケル・J・ポラード)、脚本賞、衣装デザイン賞がノミネートされました。

1992年には、「文化的、歴史的、美術に重要」としてアメリカ国立フィルム登録簿に選ばれています。


2.ストーリー

1)プロローグ

1931年に、強盗で2年間服役していたクライド・バロウ(ウォーレン・ビーティ)は、ボニー・パーカー(フェイ・ダナウェイ)の母親の車を物色中、彼女に見つかり声をかけられます。

ボニーは一目でクライドが強盗だと分かりましたが、刑務所帰りの彼に興味を持ちました。

拳銃をちらつかせたクライドはボニーに挑発され、雑貨店に押し入り金を奪い、路上にあった車で逃走します。

平凡なウエイトレス生活に飽き飽きしていたボニーは、刺激を求めてクライドと旅をすることにしました。


2)ギャング団

無鉄砲なクライドでしたが、意外にも奥手で人情味もある彼に、ボニーは次第に惹かれていくのでした。

銀行を襲うことにした2人でしたが、倒産した銀行に押し入ってしまい、襲った食料品店では抵抗に遭い、どうにか逃走できる始末でした。

盗んだ車を乗り継いでいたクライドとボニーは、とある田舎町のガソリンスタンドで、車に詳しい男C・W・モス(マイケル・J・ポラード)に出会い、彼を仲間に引き入れます。

 

 

その頃、食料品店を襲った2人の捜査が始まり、被害者の証言で、クライドが犯人だということが判明します。

その後、3人は銀行を襲い、現金を奪うことに成功しますが、追ってきた行員をクライドは射殺してしまいました。

動揺したクライドはボニーを逃がそうと考えますが、彼女はそれを拒否し2人は求め合います。不能であるクライドは、ボニーを抱くことが出来なかったのですが、彼女はそれを責めませんでした。


3)バックの参加

クライドは、兄バック・バロウ(ジーン・ハックマン)と妻ブランチ(エステル・パーソンズ)を仲間に加えます。

荒っぽいバックと、ヒステリー気味のブランチを鬱陶しく思うボニーは、警察の襲撃に遭い取り乱すブランチを罵倒しました。

逃亡途中、車を止めさせたボニーは、クライドに不満を訴え、ベッドの上の彼のことも持ち出します。しかし、ショックを受けるクライドを見て、ボニーは気を取り戻し車に戻るのでした。

一行は”バロウ・ギャング”として銀行やスーパーを襲い、殺人を繰り返し、その名を全米に轟かせるようになります。

ある日、一行を追い詰めたテキサス・レンジャーのフランク・ヘイマー(デンヴァー・パイル)は、クライドに見つかり捕らえられてしまいます。

自分をからかうボニーに、ヘイマーはつばを吐きかけ、怒ったクライドは、彼を叩きのめしボートで池に放置してしまいました。

その後も犯行を繰り返した一行でしたが、貧しい者には手を出さず、大恐慌下の不況で喘ぐ人々からは、彼らを英雄視する声も出始めました。

 



4)迫る終焉に

突然故郷の母親に会いたくなったボニーのために、彼女の故郷に帰ったクライドと一行でしたが、彼らを歓迎する親戚達とは違い、ボニーの母親は、悪に手を染めた娘に冷たい眼差しを向けて別れを告げるのでした。

町に買い物に行ったブランチとモスでしたが、モスが拳銃を持っているのを客に見られてしまい、通報されて一行は宿泊先で警察に襲撃されます。

激しい銃撃戦の末にバックは銃撃され、逃亡途中に再び襲われ彼は息を引き取り、ブランチは捕まってしまいました。

クライドとボニーも負傷するしますが、車を奪いモスと共に3人で逃げ延びます。

3人は、モスの家に向かい、彼の父親アイヴァン(ダブ・テイラー)に介抱されました。

 

 

マスコミは、潜伏中のクライドとボニーが、犯行を続けていると騒ぎたてたため、クライドは激怒します。

テキサス・レンジャーのヘイマーはブランチを尋問し、彼女やバックに同情しているかに見せかけ、共犯のモスの名前を聞き出しました。

モスの家で傷を癒している間、ボニーはクライドについての詩を綴り、感激したクライドはボニーを抱きしめて愛し合うのでした。


5)エンディング

クライドとボニーを、歓迎していたかのように見せていたアイヴァンは、ヘイマーと接触して2人の情報を流します。

アイヴァンは、息子を助けるためにヘイマーと取り引きしたのでした。

ボニーとクライドは、怪我から回復した後、買い物をするため隠れ家から出てきます。モスは、2人と行動を共にすることを父アイヴァンに伝えましたが、モスは父の言うことに従うことにして、町で2人の前から姿を消しました。

街道で、パンクを直していたアイヴァンを見つけたクライドとボニーは、車を止めて様子を見に行きました。

通りすがりの車を見たアイヴァンは、その瞬間に自分の車の下に身を隠します。

危険を察知したクライドだったが、茂みからマシンガンの銃弾が彼とボニーを襲い、蜂の巣となった2人は死亡しました。

そして、茂みから現れたヘイマーは、2人の死を確認するのでした。

 



3.四方山話

1)主役のキャスティング

当初ベイティはプロデューサーに専念する予定で、主役の一人であるクライド・バロウ役は、ボブ・ディランが史実のクライドに面影や雰囲気が似ている事からベイティは彼にオファーしました。

しかしディランは出演を承諾する事はなく納得できるキャストがみつからずベイティ自身が結果的に演じることになりました。

ボニーの候補には、ナタリー・ウッドジェーン・フォンダ、チューズデイ・ウェルドからベイティの姉のシャーリー・マクレーンまでが候補にあがっていました。


2)監督候補

本作のプロデューサーになったベイティは、当初ヌーヴェルヴァーグの旗手として知られていたフランソワ・トリュフォーを監督候補に考えていました。トリュフォーもこの企画に対して深く興味を示しましたが、撮影が始まる際に長年の念願だった『華氏451』の製作が決まり、彼はそちらを監督するためにプロジェクトから離脱しました。

次に映画製作者たちは新たな監督候補としてジャン=リュック・ゴダールに接近しましたが、結局これも合意には至らなく、最終的にアーサー・ペンが監督を担当することで映画の撮影が開始されました。


3)評価

本作は1967年8月13日に全米公開されましたが、ワーナー・ブラザースは最初この映画を「B級映画」としか考えておらず、ドライブインシアター用の映画、もしくは少数の映画館で限定上映しようとしていました。

しかし公開されるとその斬新な内容が批評家たちに絶賛され、また映画に共感した若者たちが次々と上映館に集まりだしました。これが良い宣伝になり映画の上映規模は大幅に拡大、最終的に大規模なヒット作になりました。

ワーナー・ブラザースはこの映画の成功を予測していなかったので、ベイティにプロデューサーとしての最低賃金を払う代わりに、映画の利益の40%を支払うという前代未聞の条件を提示していたのですが、結局この映画は5000万ドル以上を売り上げ、ベイティも一財産を築くことになりました。


4)歴史的価値

本作は、アメリカン・ニューシネマの先駆けとして、アメリカ映画史上特別な地位を占める作品となっています。

悲惨な最期を遂げる犯罪者を主役に据え、銃に撃たれた人間が死ぬ姿をカット処理なしで撮影し(映画中盤でクライドに撃ち殺された銀行員がその最初の例とされる)、オーラルセックスやインポテンツを示唆するシーンを含めたことは、1960年代当時としては衝撃的なものでした。

特に本作のラストシーンで87発の銃弾を浴びて絶命するボニーとクライドの姿は、「死のバレエ」とも言われ、当時の若者の反響や後続の映画製作者に大きな影響を与えました。


5)ボニーとクライド

本作のモデルとなったボニーとクライドは、1930年代前半にアメリカ中西部で銀行強盗や殺人を繰り返しました、ボニー・パーカー(Bonnie Parker、1910年10月1日 - 1934年5月23日)とクライド・バロウ(Clyde Barrow、1909年3月24日 - 1934年5月23日)からなるカップルです。

ルイジアナ州で警官隊によって射殺されるまで、数多の殺人に関与し、数え切れないほど多くの強盗を犯しています。

当時、禁酒法世界恐慌の下であったアメリカでは、その憂さを晴らすように犯罪を繰り返す彼等の事を凶悪な犯罪者であるにも拘らず、新聞も含めて英雄視する者も多かったのです。


4.まとめ

ある種かっこよく暴れまわり、光と影がちりばめられていますが、ボニーの母と、C・W・モスの父の反応にすごく共感でき作品の価値を高めています。

 

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