映画「フューリー 」ブラピ渾身の戦争映画です。血沸き肉踊ります!?

先の大戦では潜水艦乗りと戦車兵は生存率が非常に低くかったということを聞いたことがあります。

 

被弾すれば致命的な打撃を被り即搭乗員の死に直結するからでしょう。加えて、潜水艦や戦車は一人では動かせず、高度な連携を必要とします。それが故に搭乗員間の死ぬときは一緒の連帯感も半端ではなかったでしょう。

 

        f:id:mattyanp2016:20180702214322j:plain

 

そういう極限の人間関係を戦車長のドン・“ウォーダディー”・コリアー(ブラッド・ピット)はフューリー(M4シャーマン戦車)を家といい、隊員4人を生きて帰還させるとことを信条としています。この映画はフューリー一家の猛々しくも悲しく、雄々しくも血だらけ泥だらけの物語です。

 

f:id:mattyanp2016:20180702214350j:plain

 

 

ほんと、泥だらけで汚い映画です。最も戦争映画とは、血肉が乱れ飛び泥の中を這いずり回るものですが、戦車というある意味鋼鉄の棺みたいな空間は、血と汗とオイルと硝煙の入り混じった想像を絶するような地獄の空間でしょうね。

 

舞台は、1945年の第二次世界大戦ヨーロッパ戦線ドイツ領内、北アフリカ戦線より歴戦を生き残ってきたフューリー一家もここにきて副操縦士の戦死で欠員ができてしまいます。タイピストで訓練を受け戦闘未経験のノーマン・“マシン”・エリソン( ローガン・ラーマン)が補充兵として入隊してきます。

 

装填手のグレイディ・“クーンアス”・トラビス(ジョン・バーンサル)や操縦手のトリニ・“ゴルド”・ガルシア(マイケル・ペーニャ)は下世話にノーマンをからかい、戦車長ドンは、殺さなければ殺されるという戦闘の道理を無碍な要求で叩き込みます。そういった搭乗員たちを、砲手のボイド・“バイブル”・スワン(シャイア・ラブーフ)が諫め、励まします。

 

最初の戦闘シーンは、アメリカ兵がくぎ付けになっている、ドイツ軍の対戦車砲を据えた防衛ラインを歩兵と協力して打ち破ることになります。戦車隊の小隊長を失ったためドンがこの混成部隊を指揮して、横一線で敵陣に対峙し、互いに戦車砲や機関銃を撃ち合います。飛び交う曳光弾や跳弾、着弾し炸裂する砲弾、戦車に踏みつぶされるドイツ兵、ちょっと見たことのない戦闘シーンとなりました。

 

          f:id:mattyanp2016:20180702214630j:plain

 

次の戦闘シーンは悪魔と恐れられたドイツ軍のティーガー戦車との戦闘ですが、よくいわれるように攻撃力・防御力の遥かに劣った、アメリカ軍のシャーマン戦車の敵ではなく、3台の友軍戦車は瞬く間に粉砕撃破されてしまいます。

 

          f:id:mattyanp2016:20180702214711j:plain

 

フューリーはドンの適切な指示と操縦手ゴルドの渾身の操縦でティーガーの懐に飛び込み、砲手バイブルが弱点の後部に至近距離から必殺の砲弾をぶち込みます。難敵ティーガーを打ち破りフューリー一家はより一層強固に信頼感と結束が強まります。

 

本物のティーガーとシャーマン戦車を使った迫力の戦闘シーンは、戦車の内部の怒号と必死の表情を交え、出色の出来栄えとなりました。

 

最後の戦闘シーンは、要所の十字路で、地雷を踏んでフューリーは動けなくなります。修理が間に合わないままに、300人のドイツ親衛隊が迫ってきます。戦車砲と機関銃は使えるものの、キャタピラーを破損して動けない戦車は対歩兵とはいえ勝ち目はありません。

 

f:id:mattyanp2016:20180702214834j:plain
f:id:mattyanp2016:20180702214851j:plain
f:id:mattyanp2016:20180702214915j:plain

 

戦車長ドンは命令を遂行するために撤退せずに戦うと決断します。他の搭乗員はドンに心酔し始めたノーマンを除き撤退を望みますが、ドンの決意に翻意し残って戦うことになります。

 

ドンは命令のために死ぬというより、長い地獄のような戦いに疲れ、ここいらで決着をつけたいとでも思ったのでしょうか、あるいは、辛苦を共にした動けないフューリーを捨ててはいけないとでも思ったのでしょうか。

 

他の4人は、明らかに命令の為に残るというより、苦楽を共にした戦友のために死をも辞せず一緒に戦うという決断をしたのでしょう。

 

平和な時代では理解できないようなフューリー・クルーの判断ではありますが、映画冒頭より描写されてきた鮮烈な戦闘、無情で過酷な戦場から誘導されて、納得させられてしまいます。

 

きっと、戦争がある限りこのような物語は、我々の祖父・父の時代に、あるいは世界のどこかで、今でも繰り広げられているのでしょう。

 

 ☟ 楽天市場リンク