映画『ラストエンペラー』恐らくもう二度と作れない歴史的大作映画です?!

この映画、イタリア、中華人民共和国、イギリス合作によった1987年公開の清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝となった愛新覚羅溥儀の生涯を描いた作品です。溥儀の自伝『わが半生』を原作に、ベルナルド・ベルトルッチが監督、脚本を担当し、メインキャストである溥儀の青年時以降の役は、香港生まれの中国系アメリカ人俳優のジョン・ローンが演じました。

 

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目次

1.違和感

以前は何も疑問にも思わなかったことが、ある時から気にかかってくることがあります。映画の中の言葉もそのひとつで、中国や韓国の映画やドラマを吹き替えで観ていると英語の吹き替えになれた目にはいかにも不自然に見えてしまいます。

そして、多くのマカロニ・ウェスタンが西部劇なのにイタリア語であったり、ほとんどの映画が英語で語られているのにも不自然を感じてしまうようになりました。古代ローマの歴史劇やキリスト絡みの映画でも平然と英語が使われているのはなぜなのでしょう。ドイツ兵もアジア人も、時には日本人までがアメリカ資本の映画では流暢に英語で話すのです。

しかしこうした疑問も、映画を観続けていると受け入れるようになってしまいます。この映画のように、清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の数奇な生涯を描いたで使用される言語が英語なのも、壮大なスケールの歴史劇という性質上、世界マーケットを視野に入れなければ製作不可能だけに、必然的に英語が選択されたのだろうと想像がついてしまいます。主要な出演者に中国系アメリカ人が多いのも、そうした理由なのでしょう。

 

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2.歴史大作時代

こうした在り方は、かつてのアメリカ映画を彷彿させ、1950年代末から1960年代初頭にかけて、衰退したハリウッドのスタジオは閑古鳥が鳴き、もはや黄金時代は過去のものとなっていました。それでも70ミリのスペクタル歴史超大作で生命線を繋ぎ止めてアメリカ映画は作り続けられていたのです。それもハリウッドではなく、チネチッタをはじめとするヨーロッパ各地の撮影所においてです。

しかし、監督のベルナルド・ベルトルッチはイタリア人であり、撮影現場では英語、イタリア語、中国語が飛び交っていたと聞くと、言語にこだわることに何ほどの意味があるのだろうという気分になってきます。さらに紫禁城をはじめ中国本土で大ロケーションを敢行していますが、室内シーンはイタリアの撮影所、チネチッタに作られたセットで撮られています。中国から7,000キロ離れた場所で撮られていながら、映画の中にはまぎれもなく中国の動乱期が息づいているのだから、映画にとって人種や言語の違いなど、些細な問題にすぎないのでしょう。


3.大成功

チネチッタでは『ベン・ハー』(59年)、『クレオパトラ』(63年)が、スペインのマドリードに作られたスタジオでは『エル・シド』(61年)、『北京の55日』(63年)、『ローマ帝国の滅亡』(64年)が撮られていました。もちろん、いずれも英語作品で、また、これらの作品の監督の中にはジョーゼフ・L・マンキーウィッツ、アンソニー・マンニコラス・レイらがおり、それまでのフィルモグラフィとは異質の歴史大作を手がけたという点でも、ベルトルッチと『ラストエンペラー』の関係を思わせます。

ただし、これらの監督たちの多くが不慣れな歴史大作に翻弄されたことで映画監督としてのキャリアが中断、または終焉を迎えることになってしまったのと違い、ベルトルッチは中国を舞台にした歴史劇を、中国本土とチネチッタで見事に作り上げ、第60回アカデミー賞で作品賞、監督賞、撮影賞、脚色賞、編集賞、録音賞、衣裳デザイン賞、美術賞、作曲賞と主要部門を独占しました。

 

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4.創作動機

イタリア人のベルトルッチが中国の歴史大作を手がけた理由は、中国最後の皇帝溥儀の自伝『わが半生―「満州国」皇帝の自伝』との出会いに始まります。その後、長い年月が過ぎ、1983年にベルトルッチダシール・ハメットの『血の収穫』を映画化する企画が頓挫したことから本作の企画が動き始め、下準備のために中国を初めて訪れた彼は、すっかり「魔法をかけられた」と語っています。そして「中国の歴史の転換と溥儀という人間の転換。その両方を同時に描けるテーマにひかれたんだ」と言っています。(『スクリーン』1989年6月号)


5.歴史大作なの?

日本も大きく関与する中国の歴史的転換点に位置する時代を舞台に、一人の人間が幼い頃から特殊な環境に監禁され、皇帝という唯一無二の存在として育てられた末にその地位が剥奪されてしまいます。そして彼にとって世界の全てであった紫禁城を追放され、国の形も一変し、晩年は一般市民として静かな生活を送ることになるというこの映画を、ベルトルッチはこう解説しています。

「ことによると、豪華な歴史超大作が見られるだろうという期待感から『ラストエンペラー』を見に行く方がおられるかもしれない。そうした方々は、この映画が変身(メタモルフォーズ)を主題とした映画であることに驚かれるに違いない。(略)『ラストエンペラー』には二つの側面が含まれることになるだろう。その一つは、中国の絵画的な側面であり、そこには、繊細かつ微妙な物語が展開されることになる。いま一つの側面として、われわれの祖先たちが試みたような偉大なるグリフィス的な伝統がここにもくり拡げられることになる。それは、二万人のエキストラと二万着のコスチュームによる一大スペクタルを構成するだろう。」『季刊リュミエール』(1987年―冬/筑摩書房

 

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6.その溥儀とは?

この映画は、中国の清朝最後の皇帝にして満州国皇帝になった愛新覚羅溥儀の生涯を描き、大ヒットしましたが、清朝崩壊や日本による傀儡国家・満州国の擁立、戦後の中華人民共和国の成立など、歴史の大きなうねりに翻弄された「悲劇の人」という印象ですが、事実はそうでもないようです。

ラストエンペラーの私生活』(幻冬舎新書)の著者の加藤康男さんは、「溥儀には人間がもつ欲望がすべて揃っている。権力欲、金銭欲、物欲、我欲、性欲、食欲、名誉欲、保身欲――そう、煩悩といわれるすべてを身につけ、あからさまにそれをふりかざす人物でもあった」と、その怪物ぶりを評しています。

・宦官との同性愛

映画でも二人の妻を同時にめとったことがセンセーショナルに描かれていましたが、この本を読むと、そんなものではなかったことがわかります。私生活の中でも「性」にかんする記述がまず目をひいて、溥儀の初めての性体験は、14歳のときで相手は若い宦官でした。宦官が奉仕し溥儀は感極まり、精を放ち、その後も1945年の満洲国崩壊まで同性愛者だった、としています。

別の宦官の伝記には、多くの女官らによってさまざまな性の悪戯を教えられた、とあって、加藤さんは「正常と異常の判断がつく以前に、女官や宦官による遊蕩と欲望の被害者となったのは、宮廷内にはびこった性的堕落の因習によるところが大きく、それゆえに自らを貶めるような異常性愛に奔ったのは間違いない」と書いています。

・二人の夫人とは同衾せず

溥儀は11歳までに辛亥革命をはさんで二度清朝皇帝の位に就き、二度退位しました。その後も「優雅な廃帝として紫禁城の主」として生きていて、そして16歳のとき、后(第一夫人)となる婉容、妃(第二夫人)となる文繍と結婚しました。

皇帝と皇后の性生活は逐一記録に残されており、二人の間に同衾の記録はほとんど見当たらず、皇妃文繍も同様だといいます。映画では阿片におぼれてゆく婉容が描かれていましたが、夫婦生活がなかったからと思えば理解できますね。

満州国の皇帝となった溥儀。皇后婉容は懐妊するが、相手は二人の侍従のうちどちらかと疑われた。二人とも否定したが追放された。小さな女児を生んだが、すぐに宮廷外に連れ出され、小さな命は終わった。「溥儀は『捨てよ』と命じ、万にひとつの可能性も信じようとはしなかった」と書いています。

・生きるために?

終戦後はソ連軍に逮捕され、東京裁判に検察側証人として出廷、あらん限りの偽証をする一方、天皇の戦争責任を問う場面もあったそうです。「トリかごに入ったらトリになれ、イヌ小屋に入ったらイヌになれ」という中国のことわざ通り、したたかに生き抜いた側面もあったようです。

その後、新中国では戦犯管理所で「学習」し、「人間改造」されたとして釈放されました。五度目の結婚式は毛沢東の家に招待されて行われ、毛沢東の側近は顔をしかめましたが、毛沢東は終始笑顔だったそうで、これ以上の宣伝はなしとしたみたいです。

溥儀はEDで性生活は困難でしたが、離婚問題を起こさないことが共産党首脳の基本方針によって、周恩来のはからいで治療が行われたそうで、やはり彼の性生活についても、宮廷、日本軍、共産党と最後まで権力によって翻弄された生涯だったと言えるかも知れません。

 

 

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7.坂本龍一について

ベルトルッチ監督は、『戦場のメリークリスマス』(1983年)での坂本龍一デビッド・ボウイが抱擁したシーンが世界で最も美しいラブシーンの一つだと坂本龍一に言い、その3年後に『ラストエンペラー』への出演依頼を受けたそうです。

しかしながら坂本龍一は、日本人の矜持からか演じた甘粕正彦の自決シーンをいかにも不自然と感じた切腹から拳銃自殺に降板をかけて変えさせています。

さらに、『ラストエンペラー』の音楽は撮影の半年後に突然依頼され、わずか2週間で仕上げ、東京で1週間、ロンドンで1週間という地獄のような強行軍で仕上げたそうです。そして、見事に日本人初のアカデミー賞作曲賞(1987年度)に輝き、以下のように語っています。

「監督は『舞台は中国だが欧州の映画だし、戦前・戦中の話だが現代の話でもある。それを表す音楽にしてほしい』なんて難しいことを注文してきた。でも、悩んでいる暇はないので、とにかく西洋風のオーケストラ音楽に中国的な要素を盛り込み、ファシズムの台頭を感じさせるイメージで曲を作ることにしました。」2018/10/5の「裏読みWAVE」のインタビューで

 

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8.まとめ

激動の時代に王家に生まれ、数奇な運命に翻弄された愛新覚羅溥儀を多才なキャスティング、詳細な時代考証、大胆な脚本、工夫を凝らした撮影によって、みごとに叙事詩として描きあげています。ラストシーンは、溥儀の生涯を締めくくるファンタジーなのでしょう。

 

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